Festina Lente2

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感じても応えることができない

人の愚痴、自分の愚痴、人の痛み、自分の痛み、人の悩み、自分の悩み。
沢山のものを感じる。人のものも、自分のものも。
受け止める時もあれば、受け止めきれない時もある。
受け止めたいと思うけれども、受け止めきれない時もある。


同じぐらい感じているかどうかはわからないけれど、
同質の感じ方と思う時もあれば、異質ではあるが理解可能だと思う時も。
同じ世界の人だからわかると思う時もあれば、
とても同じ世界に居るとは思えないと愕然とすることも。


どれだけ感じても、その人と全く同じように感じることはできない。
思いを馳せ、思いやり、心中察するに余りある哀しみに打ちひしがれる時もある。
どうしてあげることもできないけれど、吐き出されたその思いを耳にし、目にし、
それから、しばしの間一緒にかみ締めることしかできないのだけれど。
離れているから、遠くから思いやることしかできないのだけれど。


自分の感じ方、受け止め方が正しいのか、その人に近しいのかはわからない。
それでも何も感じない自分であるよりは、
      感じることのできる自分でありたいと思う。
受け止めることのできる自分でありたいと思う。
そう思うようにしておかなければならない、のではなくて、
自然にそうありたいと思っている。そして、そうしてきたのだけれど。

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世の中には、愚痴も痛みも悩みも所詮自分事だから、抱えて当たり前。
外に持ち出すなんてもってのほか、そんな恥ずかしいことはできない。
そう感じていることを人に知られることさえ、抱えていることさえ
絶対に見せたくない、気取られてはならぬ。弱みを見せてはならぬと
構えている人もいる。・・・構えるつもりが無くても。色んな人がいるのだ。


その色んな人を、色んな愚痴を、色んな痛みを、悩みを、憤りを、
蜘蛛の巣が拾ってきて目の前で広げてみせる。
何もかも一緒くたにして、網にかかったものを私の前で広げる。
時々私の網は拾い損ね、引っかかることも無く落っことし、
時には、網の遥か彼方に飛んでいくのを見送るだけの時もあり、
どうしていいのかわからずに、ぼんやり見つめていることしかできない時もある。
ただ、聞き流しているとしかいえない状態の時もある。


ネットの上を彷徨う人の心の残骸、骸(むくろ)、破片、吐瀉物のような
苦い思いを引きずるそれらを観ながら、ただただ、かき集められ、
流され、固まり、砕かれ、吹き飛ばされ、何度も繰り返される
人の心のやるせない哀しみの有為転変に、
為すすべも無く立ち尽くす。


怒りに圧倒され、哀しみに浸り、痛ましさに覆う目も手ももぎ取られるほどの衝撃を
自分自身も持て余してしまう、そんな様々な世界の状況に、
出来事に、事実に、現実に、話に、
・・・その人の話に、書いたことに、どれだけ対峙できるかわからないながらも
私はいる。私は感じる。応えることはできないけれど。
何の助けにも、癒しにもならないのだけれど、私はいる。私は感じる。


何もコメントしてあげることはできない。
何も口ぞえすることができない、叶わない。
どうしてあげることもできない、
貸すべき腕も、答えるべき知恵も、癒しの技も無く
ただ、聴くだけ。ただ、読むだけ。ただ、知るだけ。
あなたに届くかどうかわからない距離から、聴き、読み、知るだけ。
でも、私はここにいる。
私はいる。感じていても、応えることはできないけれど。


あなたの問いに、あなたの祈りに、あなたの希望に、あなたの望みに、
どれだけ近付くことができるのかわからないけれど、
私はいる。私はいるから。それしかできないけれど。
私はいるから。
私も、ここにいるから。