Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

しばらく夢を見ない

ここしばらく、これといった夢を見ない。
以前はオールカラーの夢を毎日見続けたものだ。といっても、
その映像力は凡人のもの、岡本太郎の絵には負ける。
夢、そう、まるで夢のような世界だという言葉をよく聞く。
前衛的な芸術作品を評する、決まり文句に堕している場合もあるが。


夢は、人の意識の視覚化、当然ビジュアルな世界。
本来ならば、文字離れして視覚文化にどっぷり使っている今の時代に
最も近しい存在かもしれない。なのに、最近「夢」を見ない。
というか、世界はともかく、日本の若者も「夢が無い」状態で
過ごしているし、夢を感じにくい社会に生きている。
そこで見る夢というのは、現実逃避以外の何物でもないのかも。
「いい夢」なんて、なかなか見ることができないんだろうね。


問1 上記の文章中で、夢=希望・未来と同義である部分はどこか。
問2 上記の文章中で、夢=幻と同義である部分はどこか。


夢の無い(得難い)社会において、夢占いや夢のお告げを
どれだけ信じる人がいるかわからないけれど、
スピリッチュアルにはまる人は、相当数いるらしい。
その場合、何れにせよ、「覚醒した人」「目覚めた人」は、
未来を夢見る力を得ることができる、というパターンのようだ。
もちろん、「覚醒」などという言葉より、
「気付き」「感謝の念を抱く」「守りの中にある」などと、
趣旨を説かれる教祖様は色んな表現をされるようだ。


お告げを知りたい人、信じたい人が受け入れやすいように
理解しやすいように巧みに言い換えられているので、
その微妙なニュアンスを、その場の雰囲気で汲み取らなければならない。
その場その時で、「夢」をもち得ない人に「夢」を抱かせるわけだから、
それは「あなた自身のミッション(使命)」などと言い換えられる時もある。


自分の未来を視覚化してシミュレーションできない者にとって、
このお告げは強烈である。今まで見もしなかった夢を見ることになったり、
今まで意識しなかった世界が、開けたような気がしたりする。
むろん、本当に心の奥底に眠っていた本来の自分の願望を、
「自分自身の夢」から受け取って、自分がその夢を見た意味というものを
心底知ろうと、真剣に向かい合っていく者もいることはいるだろうが、
そういう正統派、真っ向から正面切って生きている人は、多くない。
多分、多くはいないだろうという気がする。しんどいもの。
だから、それほどまでに悩んで「夢を見る能力」というものは、
現代社会では、「稀な能力」といえるだろう。

神話の法則―ライターズ・ジャーニー (夢を語る技術シリーズ 5)

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夢判断 上 (新潮文庫 フ 7-1)

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自らの内にビジョンを見出せない者が、
夢のお告げの中に意味のある言葉を
聞く(見出す)ことができるのかどうかはわからない。
夢の世界は視覚化された世界であると同時に
論理的な主張を明確に打ち出してくる言語表現ではないからこそ、
その曖昧さの強みでもって、人に訴えかけてくる部分もある。


芸術の世界をかじる友人いわく、
色彩とはボキャブラリーであり、構文とは(画面)構成だとか。
色数も操れず、構成を決められない者の作品は、
言わんとする主張も意図もあいまいで、訴える力が弱いとのこと。
確かに、言葉数が多いから表現能力があるとは限らない。
語彙数が理路整然とした思考過程と、知能を証明するとは思えない。
優れた文体は、下手をすると概ね紋切り型にパターン化され、
終わってしまえば単なる模倣で、隠れたカリキュラムだけが前面に出る。
生産的な模倣、成長に見せかけた上達、
いわば陶冶されるのではなく、洗脳されるのだ。


実質的にしろ形式的にしろ、陶冶の仮面をかぶった洗脳が
夢のお告げの意味する「覚醒」の過程だとしたら、
それは巨大な悪夢の片棒を担ぐことになる。
癒しの世界、心の世界において、学びと気付きが相反する
経済原理の元で再生産されていくのが、腑に落ちない。
今は心を食い物にする時代なのだ。
世紀末は終わっても、天使はラッパを吹き鳴らし続けるだろう。
黙示録にあるように、偽預言者は乱立するだろう。


依存症の21世紀。人は夢のお告げを求める。
それがビジョンであれ、お告げであれ、
人は見たいものを見、聞きたい言葉を聞く。
その限界を超える解釈者の意図・心持ち一つで、
自分の受け取り方の限界を意識できない者、
つまり、受け止める側の在り様は、大きく左右される。
自ら振動するのではなく、共振動の恐ろしさ。
伝えること伝えられる関係の、この矛盾。


だから、しばらく夢を見ないでいる。
夢を見るのが怖いのだ。
何がビジョンで何が言葉か、見極めがつかない。
夢は未来か? 希望か? それともただの幻想か? 
夢を解く者の、夢を読み解く者の説き方にも
お告げを求める者にも、共依存にも似た癒着は無いのか?
この、不信の種が蒔かれた世界の広さ、
この、不安の海の奥深さは何だというのか。


だから、私は夢を見ない。
飛ぶ夢をしばらく見ない

プロカウンセラーの夢分析:心の声を聞く技術

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ユング自伝 1―思い出・夢・思想

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