Festina Lente2

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今日のお天気にたとえると

よくある話。今日の自分をお天気にたとえると。
心理学をかじったことのある人間、心理テストが好きな人、
人の心の機微を物のたとえで感じ取れる人ならば、
よくある話。今日のお天気の中に自分を見出す、反映する、投影する、
お天気にかこつけて、話をするということは。


人の心の中にある、思い出。過去の景色。未来のビジョン。
暖かく、冷たく、生臭く、かぐわしく、嬉しく、哀しく、激しく、優しく
気持ちの変化を風に、雲に、陽射しにたとえることの、
なんとステレオタイプで、一見わかりやすいことよ。


ここに落とし穴がある。自分も他人もそうだろうと思うことが。
目の前に居る人は、自分と同じ感覚でお天気を見ていると、
露とも疑わずに聞いてしまう。それぞれが、・・・
それぞれのイメージを抱いているということは、抜け落ちる。
お天気の話さえも、ニュートラルになって聴かなければならない。
お天気の話こそ、ニュートラルになっていなければならない。
カウンセラーとしての立場を全うするならば・・・。


雪国の人は雪が素晴らしいものではなく、大変なものだと知っている。
煙立つ景色は遠目には風情はあれど、灰の掃除に辟易とする火山のお膝元。
美しい青空と見えて、かんかんの日照りのこともあろう。
長雨・土砂降りも、場合によっては慈雨に他ならぬことも。
雷雨や稲光さえも瑞兆・有難い天啓となり、
漲る(みなぎる)エネルギーそのものは、「吹けよ風、呼べよ嵐」。

狂気 (30周年記念盤)(SACD)

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おせっかい

おせっかい


人はお天気に何を見出すのか。個人的な気分の移り変わりなのか、
今置かれている状況なのか、話を聴いてみないとわからない。
お天気の話はありきたりの挨拶の一つとされているけれど、
ロールプレイ・グループカウンセリングでは、なかなかに意味深だ。


たかがお天気の話と侮るなかれ。刻一刻移り変わる大気の流れ、
地球の上に広げられる二度とないコラージュ。
人の心も無限大で、お天気の話から何が出てくるのか、玉手箱。
深く掘り下げ分析の入り口にするのか、
小さな統合を積み重ね、大きな統合に導くのか、
世間話の体裁も、訊きようによっては巧みな誘導。
受け取る側にとっては思いがけない気づき。


いつの間にか気がついた、結果的に学ぶことができた。
わかった、見えてきた、納得できた、などという幸運。
そういう「自然な流れ」ばかりが、人生を取り巻くわけではない。
見たくも無いものを見、知りたくも無いものを知らされ、
無防備な中で受ける、いわれない侮辱、恥辱。
心の奥深くにまで達する、目に見えない傷の数々。


何よりも、自分がわからない(わかりたくない)、
できない(上手にできないなら、出来ない方がまし)、
知らない(今更知らないとは言えないので恥ずかしい)、
という気持ちと戦いながら、ロールプレイを続けていくことは難しい。
シェアする時でさえも、岡目八目を嘆き、
未熟である自分、不本意な自分、非力な自分に
「理想から程遠い」という理由で、不必要なコンプレックスを抱く。


「できない」から「できる」へ、「わからない」から「わかる」へ、
一気にワープする方法など、ありはしないと誰よりも知っていて、
みんな、「認めたくない自分」を認めるのに覚悟を要する。
人の心の中にあるものは、不一致に満ちている。
そんな心模様をそれぞれが見つめ、受け止めながら、夜が更ける。

夜明けの口笛吹き

夜明けの口笛吹き

原子心母

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