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「アラベスク」から「ヴィリ」へ

山岸凉子の最新刊「ヴィリ」を読む。
それにしても、リアルタイムで熱中した「アラベスク」から、
テレプシコーラ」を経て、「ヴィリ」まで、
思えば遠く来たもんだ。バレエの門外漢を、
バレエの世界に引きずり込む作品は、山岸凉子以外には、
有吉京子の「SWAN」しか知らない。

SWAN 白鳥 愛蔵版 1

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まいあ Maia SWAN act II 1

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マンガの中で培ってきたバレエの世界。
本日は、山岸凉子のバレエにおける「女性」について、
チラリと思ったことを。秋の夜の徒然の慰みに書き綴ってみよう。


取り上げるのは、「アラベスク」第一部の「ジゼル」。
踊り手は白血病で若くしてなくなってしまった、
パリ・オペラ座のマチュー。モダンも踊れる彼女から、
作品「ミラージュ」を受け継ぐ主人公ノンナ。


次に、「アラベスク」第二部における「ラ・シルフィード
もちろん踊り手は主人公ノンナ。ここで踊られる妖精は、
青ざめて透明なロマンチックバレエの神髄だそうで。
生身の人間ではないものを踊るというのが、ポイント。


そして、今回の「ヴィリ」。結婚直前になくなった女性の精霊。
「ジゼル」に登場するもので、一般的にはウィリーと呼ばれるもの。
主人公は、バレエダンサーとしては43歳の東山礼奈。
公演直前に事故で奈落に落ち、再起不能の悲劇に見舞われる。


この「ヴィリ」は、大作「テレプシコーラ」の第一部の連載後、
短期連載として発表されたもの。よって、この作品は、
主人公六花(ゆき)の姉、千花の自殺を背景に感じさせる。
礼奈は最終的に死からは免れたが、
バレリーナとしての生命を絶たれている。

ヴィリ (MFコミックス ダ・ヴィンチシリーズ)

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山岸凉子がバレエマンガでブレークした、「アラベスク」第一部。
ノンナ・ペトロワに好ライバルを与え、病で奪い、その志を
受け継がせる形で精神的にも技術的にも成長を促進させた過程。
ジゼルの踊り手マチューは、若くして亡くなっている。
既に、山岸凉子のバレエマンガにおいて、登場人物の死は、
重要なモチーフである。むろんバレリーナの死というものは、
生物学的な死と同時に、ダンサーとしての生命を絶たれるという点で
二重の死を背負っている。この時点で、悲劇性は増幅される。


主人公ノンナに与えられた作品「ミラージュ」は、
その意味では非常に象徴的な作品だ。
本来男性同士が踊るモダンな作品は「光と影」を意味しており、
マチューは女性ながら、卓越した影の踊り手を務めている。
ある意味それは、その登場から悲劇を暗示する役柄を背負っているといえる。
不治の病が彼女を襲い、ジゼルに憧れながら夢叶わず、
その衣装を着せられて棺に横たわるマチュー。


自分が踊ることがマチューが舞台に生き続けることだと意識して、
バレエに望むノンナ。マチューの執念を背負う形で踊るノンナ。
マチューは結婚前に死ぬジゼル同様、その全盛期を迎える前に、
バレリーナ生命をノンナに託して、人生の舞台を去っていく。
作品「ミラージュ」は「光と影」「生と死」を象徴する。
マチューはノンナの影となって、存在し続けることになる。


遺志を継ぐことで、亡くなった人間の執念・願望を背負い、
叶えるという形は既にここに現れている。
テレプシコーラで姉のバレエに対する思いを引き継ぐ妹、
六花(ゆき)の存在は、ノンナの系譜を受け継ぐことになる。
人の死を内包することは、人間を成長させる。


しかし、死そのものは何らかの崩壊に繋がる。
悲劇は必ずしも乗り越えられるものとは限らない。
ノンナ自身も自分自身の死を象徴的に体験しなければ、
バレリーナとしての成長はありえない。
その過程は「アラベスク」第二部において、より顕著な形で現れる。
天才的な模倣の踊り手であるライバル、
ヴェーダに自らの「影」となられてしまうノンナ。
自分の作品「アラベスク」を踊られた上に、
師ミロノフをも奪われたと思い込み、ショックで、
心理的に足が動かなくなるという状態に陥る。
トラウマ、心と体の関係性の悲劇。


更にミロノフ自身も師として、ノンナに試練を与えるつもりが、
裏目に出て、ノンナの信頼・バレエ人生を失う危機を招き、
二人の作品「アラベスク」さえも、ライバル、エーディクに踊られてしまう。
師と弟子は双方、喪失(死)体験を乗り越えて、再生する過程が必要だった。
ノンナとミロノフの関係は、螺旋階段を上るように繋がっており、
お互いの成長がお互いのバレエ人生の豊かさに高められていく。
されど、高く飛ぶ前に低くかがまなければならないという、
スポ根物にも通じるハードな試練とセオリーが、
幾つも主人公達を待ち構える。


亡命してミロノフを失うか否かの選択を前にして、自分の恋心を
強く意識する至るノンナは、肉体的な死から蘇るが如く、
それこそ「2本の足で立って、自分の足で歩き始めなければならない」
強さを必要とするバレエの世界に戻ることができた。
そのノンナの次の壁が女性性。意識すればするほど迷いが先に立つ、
シルフィードをどう踊ればいいのかという課題。
ここで、レズビアンのピアニストとのやりとり、絡み、
シルフィードを踊れずに悩んでいた彼女の恋人の自殺のエピソード、
ノンナの精神的な弱さを、どのように克服してバレエに生かしていくかに
焦点が当たる。ここが山岸凉子の面目躍如たる場面。


生身の女性である自分を意識し続けながらも、舞台の妖精は
決して成熟した存在であってはならないという解釈の元に、
青ざめて透明なロマンチックバレエの神髄に触れるノンナ。
音楽の伴奏を失っても心で音を聞き続けて踊り続ける姿は、
芸術の側面を描き出している美しい場面である。


山岸作品において、女性性というものの美しさと同時に、
女性の成熟過程における苛酷さ、死と生、性愛、死と再生は
他の作品においても非常に重要なモチーフで、
心理的な霊的な作品でも、必ず取り上げられる。
死と生は物事の側面の表と裏であり、その表裏一体性は、
物語作品のモチーフ、両の車輪となって読者を揺さぶる。
ノンナのジゼルがある一つの完成を見る代償として、
師ミロノフは、瀕死の重傷を負うという事件が起きる。


大作「テレプシコーラ」においては、ここで多くを語らないが、
主人公の六花の成長は、姉千花の挫折と死が代償である。
2人は光と影の役割を、物語の前半と後半で交差させる。
バレリーナとしての成長のハンデがある妹が、
バレリーナ生命を断たれて死を選ぶ姉を内包して、
コリオグラファーとして変容する過程。
女性性を前面に出さずに、バレリーナの目指す側面を
30年前に描き切れなかった課題として、
ノンナとは別の生き方を提示しているといえる。


そして、今まで描かれてきた作品の主人公達は、
ノンナ・六花・千花にしろ、脇役のマチューやヴェーダ
アラベスク第一部の天才少女ラーラも、
女性性を十分に開花させている存在として描かれてはいない。
ある意味、若く、独身であり、その全盛期が描かれているわけではない。
いずれも成長過程の女性である。


しかし、「ヴィリ」の主人公は、43歳という年齢で、
若くして海外で不倫の体験を経て一人娘をもうけ、
なおかつバレエ団を代表する踊り手として活躍、
その上、恋する相手を実の娘に奪われる。
女性性の一モデルとしては、よくできたケーススタディ


母の死、バレリーナを前面に出し、母として娘に君臨。
バレリーナとして大成できず、拒食症状態に近い娘。
パトロンと頼む恋人とも思っていた相手が、
自分と結婚どころか、娘を妊娠させていた事実を知って、
虚脱状態のまま、公演の舞台の奈落から落ちて、瀕死の状態。
ヴィリとして、生身の姿を捨てて舞台に立ち、
現実では半身不随のまま生きながらえ、バレエ団を支える。
踊ることを諦めた上で、娘の女性性を認めることができる母。


こうやって見ると女性の自己実現は、何と険しいのだろう。
何もかも手に入れることはできず、常に犠牲を強いられている。
光と影のように、強い光が当たるところには強い影ができる。
バレリーナとしての人生は、自分自身の女性性の尊厳が、
娘に貶められたと意識した時点で幕を閉じ、
自殺にも似た、(闇に引き寄せられたかの感)心の間隙、
暗闇、陥穽の中で、走馬灯のように人生を振り返り、
他者の本音を垣間見て、蘇る。失う代わりに得るという、
この設定は、いつもながら酷いまでに鮮やかな展開。


この中年女性が、バレリーナとしての自分を捨てて、
「教え」に入った同僚に暖かい眼差しを注ぐ姿は、
あるところまで到達した存在が、次に何を成し得るかを
示唆しているのかもしれない。
それは、30年以上前に描かれた「アラベスク」第一部の
ノンナが泣き泣き脱走した先の、小さな劇場の中年バレリーナ
オリガの存在に見出すことができる。
彼女の庇護の下、「踊りたい」という気持ちを取り戻すノンナ。
見守り続ける存在、劇場の第一人者を怪我をして降りる寸前、
代役としてノンナを推薦する、チャンスを与える存在。
オリガに、蘇った東山礼奈の原点を見出すことができる。


優れた作家の作品の中に散りばめられた個性と役割。
読者も、書き手と同様に成長・成熟していく過程で、
年を取り、自らの自己実現の課題に直面しなければならない。
漫画の主人公達も、読者の人生モデルとして変容する役割を担う。
アラベスク」から「ヴィリ」に至る主人公達は、
その生と死の狭間で踊り続けながら、作者と共に進化し続ける存在、
更なる自己実現を目指す存在なのだろう。

黒鳥―ブラック・スワン (白泉社文庫)

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