Festina Lente2

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(この項5/12 UP)

本日金曜日。前回入院した時は木曜日夜診、金曜日から入院。
まずに内科に来てみれば、これが御縁と言うものか、
家人の主治医だった大学病院のT先生の診察を受けることに。
週一度の非常勤だったため入院中の主治医にはならなかったものの、
超音波を読んでくれたのはこの先生。


診断時には沢山の先生が集まって、よってたかってお腹を押して
切るの切らないの、試験開腹と言われ・・・。
結局消化器外科の先生が主治医に納まったものの、
点滴で保存的治療に落ち着いてほっとしたのが1年半前。
T先生は1週間後の金曜日、病室まで様子を見に来て下さったし、
その後外来でもお世話になった。


さて、本日金曜日夜診終了後、こっそり外来を覗きに行く。
点滴台も外れて歩けるようになっているのを幸い。
看護師さんに言伝て、診察室に入れて貰う。
今回は1度も診察を受けていないから、突然の顔合わせ。
先生には驚ろいた顔をされてしまったが、事情説明。
今はT先生に紹介された、もう一つの大学病院のお世話になっている、
家人の話も交え、3分間おしゃべりというより「ほうれんそう」。
手短にコメントを頂く。
正式に診察であれば、セカンドオピニヨン。


便秘は駄目。(してないんだけれど、腸の動きが悪いのかな)
極力切らない。メスを入れると今以上に癒着するから。
(一般内科、腎臓の先生らしい)
院長先生に早く退院できるようにお願いすること。
(早期離床で家庭に帰って子供の面倒見ろってことですね)
「僕らの口から院長には言えんからねえ」


ごもっともでございます。患者の主治医が決まっている以上、
横から口出しおせっかいは出来ない。縄張りがある。
テリトリーは神聖。ご法度破りはできない。
だから、院長先生のご帰宅後の夜診の時間帯終了時、
こっそりお目通りに来たんでございます。
おばちゃんは、強引我儘なのさ。(笑)


T先生は、私の娘が保育園年長時、家人がお世話になった。
だから、娘がまだ小さいのを知っている。
痛みがあっても上手に付き合っていくしかなく、
日常生活に早く戻らなければならないのをご存知なのだ。
私が様々なことで、どんな思いをしているかかご存知で、
だから、私達は敢えて口に出さないで会話をする。


院長先生はよく言えば慎重かつ丁寧、悪く言えば経営者サイド検査好き。
何度も検査を重ねるけれど、検査で痛みが引くわけではない。
前回も1ヶ月近くは引きずった。日常生活に支障が出ないのなら
諦めて付き合うしかない毎日なのだ。
いわゆる日にち薬しかない。仕事は辞められない。
今だけでも安静と休養の日々が続けば、申し分無い。


それにしてもT先生、ゴールデンウィークはどうしたのでしょう。
なんて日焼けなさっているのでしょう。いつもですが。
病棟で先生はいつも精力的。研修医よりも精力的だった。
ウソも方便、ばれたら謝る。実は熱血漢。
男気があると婦長さん達に噂されていた行動力の持ち主。
それでも3年前よりも、やっぱり老けましたね。
お互い様なんでしょうか。・・・心の中で私は呟く。
1年半ぶりにあったT先生。

動機づけ面接法―基礎・実践編

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この日、行けたら行っていただろうか? 土壇場で。
入院していなければ、エイジアのコンサート。
チラリと思わないではない、外の世界のざわめきを。
この日、不思議なご縁でリンクしているオフ会やその報告。
私は病室から電脳玉手箱の小窓を開けて、
コメントを送ったり頂いたり、やり取り。


コメントは、いつまでも残る。玉手箱を覗く事ができれば、
その人の言葉を繰り返し読む事が出きる。
どんな声かなと想像することも出来る。
どうしているのかなと思いを馳せることも出来る。
コメントは外の世界から送られてくる、その人の化身だ。
コメントを頂ける。なんとありがたい事だろう。


電脳玉手箱の世界は、不思議な世界。
陸奥の景色や花々を愛で、富士山麓の花壇を眺め、
祈りのある食卓、庭で遊ぶ猫、異国の祭り、結婚式、留学、
旅行、食事、結婚、引越し、それぞれの日常生活。
子供のいる様々な生活、プロフェッショナルの仕事を垣間見、
仕事の悩みを知り、父や母としての側面を見出し、
書評や映画、音楽や焼き物、趣味の世界を渡り歩く。
瞬時にして様々な世界へ飛んでいく事ができる。


魔法のようにリンクしている世界。電脳玉手箱が見せる世界。
電脳玉手箱が繋げる世界。おそらく、仮想空間といえども、
見る写真書かれた言葉の裏には、その人の生活があり、
リアリティがある。その事実に支えられて、私は私を省みる。
現実の生活の限られた交友とは異なる次元で、
人は人を思う事が出来る。人は人と知り合う事が出来る。


人は一人ではないのだと思える時、それは、
電脳玉手箱の中であっても、少しずつ築いてきた世界、
付き合いの中で人を大切に思う時、それは、
その瞬間は、生身の付き合いの気持ちと何ら変わる事が無い。
痛みが薄らぎほっとしつつも、たった一人で病室にいる時、
夜を孤独に過ごす時、心なしかブルーになる時、
落ち着いてものを考えてみたい時、ふと気が付けば、
私は私の電脳玉手箱の中の「人」に会いに行く。


感謝を込めて。

1日3行「感謝日記」―書くだけで理想を実現!

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