Festina Lente2

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自分はどんな人間なのか

あなたは知りたくないか、自分がどんな人間なのか。
占いに興味は無いか? 心理テストが気にならないか?
人の意見が、噂話が、向けられる視線が、背後の笑い声が。
自分の心の中に棘を意識する時は無いか?


あなたは知りたくないか、自分がどんなふうに人を見ているのか。
自分は、どんなふうに人に見られているのか。
意識していても、気をつけていても駄目。
自分が人を見る視線、意識、気持ちの持ちよう、心の動き。
それは止められない。今日のあなたは昨日のあなたの続き。
今日からすっぱりとリセットして、跡形もなく
何もかもやり直すことなど、夢のまた夢。


あなたはどんな人間なのか、知りたくはないか。
自分自身はどんなふうに人を見ているか、知りたくはないか?
なに、そんな難しい事ではない。ちょっとしたこと。
ほんの少し、短いセンテンスを考えてみるだけ。
単語を当てはめてみるだけ。


御伽噺や伝説、物語はいつも同じ。ワン・ツー・スリーで幕が開く。
魔法の杖を一振り。3つ数えれば世界が変わる。
だから、勇気を出しても出せなくても、
三つの問いかけに答えるといい。人はいつも試される。
生きている間、いつも試される。
運命の神様は「謎かけ」がお好き。
朝は4本、昼は2本、晩は3本、この足を持つ動物は何?


では、この問いに答えてみて。(  )内に思いつく適語を入れて。
1 人間は(       )ものである。
2 人間は(       )ものである。
3 人間は(       )ものである。


どんな言葉を当てはめる事ができるか。
短い言葉、長い文?
今、これを読んでいる人は、種明かしは後でね。
また読みにきてください。今はここまで。
(もちろん、続きは後で書きますからね)


え? これは書きにくい。入れる言葉が限定されるって?
では、これでもいいですよ。こちらの方が書き易いかな?
1 人間は(       )である。
2 人間は(       )である。
3 人間は(       )である。


凹まない人の秘密

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種明かしと行く前に、極端な例というものを挙げてみよう。
例えばある人が、
1 人間は(いつも希望を持っている)ものである
2 人間は(夢を叶えたいと思っている)ものである
3 人間は(努力や工夫をする)ものである
なーんて、答えたとしましょう。


もし、正直にこう書いたのだとしたら、その人は、
なかなか希望を持てずに暗い雰囲気の人とは、馴染めないかもしれない。
もしくは、希望を持てるように、(やたら)励ます立場に立つかもしれない。
夢を叶えたいと思っているから、夢を持たずに生活するなんて
夢も持てない奴なんて、いや、みんな夢をもてるように頑張ろう!
そんな風に努力や工夫を凝らして毎日生きている人かもしれない。
そういう生活をする事が人間らしい生活だと、信じているかもしれない。


よく言えば、前向きで未来を信じて希望を持って邁進する人生を
他人の中にも見出したいし、自分の中にも見出したい。
実践したいし、そうであることを周囲にも望むだろう。
自分の置かれた時代にも環境にも未来にも、
夢や希望を持ち続け、たゆみない努力と工夫が人間らしい生活だと。


またある人が、こんなふうに答えたとしよう。
1 人間は(愛する事ができるもの)である。
2 人間は(1人では生きられないもの)である。
3 人間は(信じることで安心できるもの)である。


人との繋がりが人間らしい生活の根底にあって、
愛情や友情、信頼関係こそが人間が持てるものだと・・・。
そこからはみ出すことは恐怖であり、友愛や信頼を離れては、
1人では生きていけないという不安や惧れを抱いて、
繋がりを求めている、またはそういう行動を取る事が人間らしいと。


お気づきですね。そう、「人間は」という主語を
「私は」に置き換えて考えてみてください。
人をどのように観ているか、自分をどのように把握しているか。
それは、普段のちょっとした物事に対するリアクションから
垣間見る事が出来るように、立場を入れ替えればわかりやすい。


「愛」に溢れる人が、実は愛情不足の裏返しで行動する人だったり、
「怒り」に燃える人が辱められた自尊心の鬱々物静かな人だったり、
「暴力」の根源が、虐待、虐げられた結果作られた性格だったり、
そういう例は数え上げればきりがありません。


自分が人間を規定する時、それは他人を見る目であると同時に、
自分自身を見つめるまなざしであることに、人は無意識に気づきながらも
無視して別個の眼差しだと思い込んでしまう。
なぜなら、人と自分は別の人間だから。
でも、他人を見るレンズがぐるりと反転して、
自分の内部を拡大・精査したとしたら・・・?


人間は(   )もの。その言葉は、あなた自身。
その規定は自分自身。そして、ある時は自分を縛る強迫観念。
ある時は素のままの自分。ストレートに飾らぬ本心。
鎧を着ることも脱ぐことも出来ぬ、雁字搦めの自分。
色んな自分の状態が、そのまま他人を見つめているといえましょう。


だから心が元気な時には、少々のことにも凹まず笑える。
受け止めるる余力がある。心の体力が備わっている。
ナーバスで落ち込んでいる時は、批判的になり、冷淡に反応し、
怒りに燃え、更なる油を注ぎ込んで自分自身を焼き尽くしてしまう。
人を見る目は自分自身を見つめることと同じ。


自分が大嫌いなのに、人が大好きということはありえない。
なぜなら自分自身を大事に出来ないのに、
人を大切にするなんて出来ないから。
自分の心に寄り添いながらも、振り回されること無く
自制を持って距離を測る冷静さが保てるならば、
他人に対しても、同じように距離を保つことが出来る。
少なくとも、その可能性は高い。


自分自身に、いわれの無い仮想の万能感を持って人を見下す時、
人は何も正しいものが見えていない。歪んだレンズで人を見ている。
漠然とした不安・不信、脳裏から消えることの無い怒り・悲しみ。
自分の内部にある物がレンズの働きをして、他人を映し出す。
人は自分の見たいものを見、聞きたい言葉を聞く。
現実がどうであろうと、そのように受け止める。


さて、あなたは人間をどんなふうに観ていましたか?
自分自身をどんなふうに観ていましたか?
実は、全部種明かしをしたわけではありません。
でも、おまけ・付録は今日は無しという事で。
そうそう、今日入れた言葉は、今日のあなたが入れた言葉です。
明日は1週間後は、1月後は、1年後は変わっているかもしれません。
変わらないかもしれません。


人は成長するもの、人は変化するもの、人は・・・。