Festina Lente2

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ゆっくり浮上せよ

昔の人は上手いことを言ったもんだ。「過ぎたるは及ばざるが如し」
やり過ぎは駄目、やり足らぬのも駄目。何事もバランスよと。
でも、凡人は一気に不安を解消したり、一気に良くなることを求める。
病人に向かって、「日にち薬だから」「薄皮をはがすようによくなる」
という言葉は良く聞かれるせりふであって、経験者であれば納得できる。
何事も一気に片が付く、ということは後々の影響もままならぬ。
物事には揺り返し、揺さぶりがくるということがあって、
それは今風に言えばトラウマが蘇るだの、フラッシュバックが起こるだの。
何かを得れば何かを失う。そんなやじろべえがひときわ意識される秋の暮れ。


昔々、子どもの頃だが、潜水病についてTVで見たことがある。
真ん丸いヘルメットを被った潜水夫が海底からゆっくりと水面へ上っていく。
そう、実に時間を掛けてゆっくり上らなければならない。
タンクに残っている酸素の量も心配ではあるが、焦って浮上すれば、
「血が沸騰」して死んでしまうのだそうだ。潜水病になって。
その話は子供心には十分印象的だった。


「深い海に潜ると助からない」「潜水病で血が沸騰」というイメージは、
長く私の心を支配した。おそらく、人魚姫の童話を信じなくなった当時、
人魚は足が痛くて歩けないのでも、王子様を刺さないと海に帰れないのでもなく、
「居場所が無い」ために、心が沸騰して泡になって消えてしまったのだ。
そんなふうに連想して考えるようになっていた。


「血沸き肉踊る」というプラスイメージは非体育会系の自分には無く、
深海に深く深く沈みこんでいく、水底に横たわる自分のイメージが支配していた。
底知れぬ海の底に閉じ込めてしまいたいほどの物思いの山と
憂鬱がゆらゆらと海草のように揺れていて、体にまとわり付くいとわしさ。
青みどろ色した世界には、華やかな南洋の海中の明るい熱帯魚のイメージは無く、
赤いろうそくと人魚』にも似た、暗く冷たい海のイメージがあった。


長じて、仕事に疲れ生活に負われ、辛いこと嫌なことが重なる度に、
自分は深い海の底に沈んでいくのではなく、逃れているのだと感じるようになった。
誰の何の声も届かない、キーンと膜の張ったような水面下の沈黙。
体中を程よく圧迫する水の心地よさ。このまま深く沈んでいけば、
水圧が私を粉々にしてしまうのではないか。
そして、私は海の中に散らばる名も無い姿になるのではないか。
そんな暗い夢想に囚われてしまうこともあった。


「海にいるのは、あれは人魚ではないのです」
「海にいるのはあれは波ばかり」と嘯く心寂しい詩に毒された、
そんな私の心に、プラスのイメージを送り込んだのは
幼少期の映画『緯度零(ゼロ)大作戦』や『海のトリトン
大人になってからは、人間の愛情・信頼・責任を意識させた『アビス』。
徳島の暖かい海、鳴門の渦を見つめて、イメージは一変した。

ヒーリング・シー

ヒーリング・シー



思えば、長い長い間深く深く潜っているとどうやって上に出るか、
波の上がどんな世界だったか忘れてしまいそうになる。
泳ぎ方は知っているのに、呼吸の仕方を忘れてしまうように。
水を蹴ることはできても2本の足で立つことを忘れてしまうように。
水に守られて物を眺めていると、空気の層にある陸地の世界は異世界
全てがくっきり象られて、暑く、乾いている。


きっと心もそんな状態。深く眠りにも似た守りに頼って、
深い深い海の底にあれば、思い出したように地上に出てくるのは危険。
ゆっくりゆっくり時間を掛けて、体を慣らして目を慣らして、
縮んだ肺を広げ、ゆっくり浮上し、息ができるようにしなくてはならない。
心はとてもデリケート、心はとても柔らかいから。


焦って一気に上昇し、高揚した気分になって世界を手中にする。
その錯覚は、眩暈にも似て地球の自転を自覚する。
その瞬間、血は沸騰し、心はずたずたに引き裂かれる。
自分の姿を深く探索し、知り尽くして、もう傷つかないはずと、
これが本当の自分の姿のはずと深い海から陸地へ上がれば、
気持ちに体が付いていかず、体に気持ちが付いていかず、
やはり自分はどちらの世界にも住めないのだと落ち込みながら、
どこに行けばいいのかわからず、戸惑いがパニックになる。


そんなイメージを最近特に感じる。夢に見る。
私は波打ち際に立ち、時には崖っぷちに立ち、深呼吸する。
まだまだ、もっと深く息が吸えるはず。沢山吐き出してしまったのだから。
でも、極端から極端はいけない。少しずつ慣らすこと。
時に、心疲れ悩み事を抱え、話したくなる人は、
話せば話すほど楽になるのではなく辛くなる人も多い。
何かが呼び水になり、どんどん自分が生き辛くなるような、
そんな状態で苦しくなる。どうしていいかわからなくなり、
人恋しくなるけれど、周囲の目からは海に引きずり込もうとしている
得体の知れないものの雄叫びの様に受け取られることも。


ああ、だから、少しずつ水から出てきてゆっくりと陸になじんで。
無理ならば、慌てずに、水に半身を浸したままで、ゆっくりと。
その目が慣れるまで、その足が痛くなくなるまで、
体を慣らして、心を慣らして歩き出す準備を。
人は人のままの姿で、人以上のものになることなどできない。
ヴィーナスのように美しく、貝の船を用意され、
順風に吹かれて望みの岸辺に辿り着くことは有り得ない。


私は人間。私たちは人間。心の潜水病に罹らないように、
無駄に血を沸騰させること無く、
心行くまで新鮮な空気を胸に入れることができるよう、
ゆっくりと浮上せよ。
焦らずに浮上せよ。


そう自分に語りかけるように、誰かに伝えたいこのイメージ。

写真で深呼吸。仁礼博のだいじな思いで

写真で深呼吸。仁礼博のだいじな思いで

深呼吸をして

深呼吸をして