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夢の勉強会

死にゆく者の夢。


夢で逢いましょう。そんな言葉を昔、聞いたことがあったな。
夢は見たい時になかなか見られない。
最近ここしばらくというか、ここ最近と言うべきか、
夢を見ても思い出せない。
その方が気にし過ぎなくて、いいと言えばいいのだけれど。


大抵体の調子が悪い時に夢を見ることが多い。
昔から、子どもの頃から夢はオールカラー。
だから、なるべくはっきりした夢を見ないに越したことはない。
そんなふうに思いながら生活している。


それに、現実世界でも「夢」を見るにはしんどいこと、
辛いことが多い。
だからこそその反動で、夢の話の勉強会に顔を出したこの1ヶ月。


人が死に近づくと、どんな夢を見るのだろう。
そんな話を中心に先生は語る。
今日は、講座の最後の勉強会とあって、和服をお召しに。
何ともダンディ。講座の最後に紹介されたのは、一枚の絵。
ああ、私も展覧会で見た絵。


葛飾北斎が死ぬ数日前に描いたという絵、
何とも澄み切った富士山の絵から黒雲の中に昇り龍。
ああ、もう魂は、心は半分天の国に昇っているのか。
飛龍となって下界を見下ろす心持ちなのか。
我が道を振り返っての昇り龍なのか。


達見、卓越した画力を以て描かれた作品に見る、心の平安。
魂の故郷に帰る自分自身を描き込み、妙境ここに極まれりの水墨画
ああ、このようにして天才は自分の死を見つめ、
作品にすることができるのか。


私は自分の夢に寄り添うことも叶わずに、
いつの間にか夜に夢を見ることさえ、避けているような、
そんな毎日を送っているのに。
その補償作用で、こういう話を聞きに来ているのかも知れないけれど。

死のまぎわに見る夢 (こころライブラリー)

死のまぎわに見る夢 (こころライブラリー)


ちなみに、昔、私たちが勉強した頃のように、
精神分析だの夢分析フロイトユングは流行っていないらしい。
臨床心理学という言葉は何処へやら、今は認知行動療法ばやり。
学会で、「夢」だの話題にして話そうものなら、
学問的な立場さえ危うくなるのだそうだ。時代は変わったねえ。


学問の世界から遠く離れて生きる身には、たまさか聞く話が、
気分転換になる、ちょっとした心の整理、読めない本の代わり、
そんな感じで助かるのだけれど、自分が過去に勉強してきたものが、
今は価値がないもののように取り扱われているというのは、哀しいものだ。
まあ、学問の世界も勢力争いのようなものだから、
功成り遂げてこそ意味があり、存在価値が許されようもの。


短期間で費用も掛からず、ローコストのカウンセリング、人生相談。
誰にでも出来るコーチング、NLP認知療法
自分で自分をコントロールすることが、現代を生きる知恵、
生き抜く理論と方法。無意識の領域からのメッセージなど、
受け取って解釈するなんぞ、まだるっこしいことに時間を掛けてなんぞ。
そんな毎日が、これからも続いていくのかなあ。


夢を見続けること、それさえも現実的でなければ、
実入りのあるものでなければ、
あてもん風情の不確実性に充ち満ちた多様性など、
研究対象にはならないと。
・・・趣味なら許されるわけだ。
自分の世界を貫いて職業にこだわり続け、絵師を全うした北斎は強い。


夢の研究を続けられている先生も凄い。
続けることが、一つの夢、だなあ。
私には、遠い遠い夢。

夢分析から見る生と死

夢分析から見る生と死

古代人と夢 (平凡社ライブラリー)

古代人と夢 (平凡社ライブラリー)