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枕草子の「沈黙」を読む

これも色んな方が力説している話で、何故、枕草子には
清少納言の大事な人々のその後、ことの顛末、
死について書かれていないのかという話。
書きたくないから、書こうとしても書けなかったから、
わざと沈黙を守ったのは何故か。


後世に残しておきたかったのは何か。
ただただそのことに尽きるだろうと思う。
最近出ている話題の本も、この説にのっとって書かれているし。


はなとゆめ (単行本)

はなとゆめ (単行本)


中宮定子の華やかな宮廷生活、その不遇の時期。
清少納言枕草子には、「曇り無き思い出」を畳み掛けるように、
出仕していた頃の華やかなりし宮廷、人間関係を描いていて、
あとは沈黙を守っている。
重要な人物の死について一切黙っているという「方法」を、
敢えて取ることによって、どのような効果を狙ったのか。
または、どうしてそのように徹したのか。


わからないくはない。
御堂関白記」よりもみんな「枕草子」を読むよね。
源氏物語と双璧を為す、女流文学と称されるけれど、
全くそのスタイルは違う。
書く動機・姿勢が違う、違いすぎる。
内にこもる情念の女ではなく、理知と機微に飛んだ自分を育んだものは、
活躍の場を与えてくれた場所は、人は。
全てはそこに集約されていくのだろう。
人はそれを判官贔屓と観るだろうか。


後世、紫式部が使えた道長は勝ち組で、
清少納言が使えた側は負け組とされるけれど、
それは、歴史が常に生き残った側、商社を基準に書かれるからで、
実際の所はわからない。
ただ、高校生の昔とは違って、好きで負け組になるわけではない、
世の中の流れに抗うことも出来ぬまま流されていく、
そんな人生もあるのだとわかるからこそ、
少しでも楽しい思い出をよすがに生きる在り方、
苦々しいことを、思い出の傷になるようなことを、
書き残しておきたくない気持ちもわかる。


それは、1000年前でも同じだったんだなあと。