Festina Lente2

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永遠の0

昨日お正月映画として家人と2人で『永遠の0』を観た。
泣けた。
あの印象的な表紙の本、その世界が映画になっていると評判だった。
主人公は今をときめく? 人気俳優、岡田准一が演じている。
作者、作品、主役、何れを取っても話題の作品。
おまけに、戦中派(といっては失礼なのかも知れない)にも興味を持てる、
更に、昨年のアニメ『風立ちぬ』の、零戦の設計者の物語ともかぶる、
ある意味、話題性満載で、業界的には順風満帆で上映された作品。


こういうタイミングで映画化され見ることが出来るのは、
それはそれで有り難いし、滅多に観ることのない邦画が話題になるのも、
それもアニメ以外で、単なる娯楽作品ではなく、
非常に時代を反映している、教訓的な内容を併せ持つ、
歴史的に様々な者を含んでいる難しい映画、
戦争を扱った映画は、若者にとっては敷居が高い。
なのに、今回は話題性と原作の評判と、人気俳優のお陰で
結構集客率がいいらしい。


下手をすれば、小学校では難しすぎるが、中高で、芸術鑑賞、
もしくは人権教育・平和教育関連で観させられる映画、
(この手の道徳教育的な側面の強い映画は、いい俳優が出ているのにも関わらず、
商業的興行収入度外視した文部省推薦映画になってしまい、
映画館では殆どお目見えしない、短期上映特別作品のことが多い)
体育館に集められて見ることになりそうな映画の範疇なのに、
時代は変わったなあというか、上手くいいタイミングで作ったなあというか。


それはさておき、自分自身にとって忸怩たる思いであるのは、
原作を熟読どころかチラ見さえしていないことだ。
文庫本は買ってあるはずなのだが、何処に置いたのかさえもわからない、
部屋中積ん読の嵐の中で生活しているため、発掘するのが大変。
おまけに、本が汚れるのが嫌なので、殆どの文庫新書にカバーを掛けているから、
ますますもって「ここ掘れワンワン」宝探し状態の家の中。


せっかく家にあるのに、何処に行ったかわからないから
もう一冊買うというのも癪に障るし、かといって借りてくるのも、
図書館では順番待ちで大変な人気作品。
そんなわけで、普段は原作を読んで自分のイメージを創り上げてから、
映画化、実写化された作品に向かい合うのがモットーの私が、
それを破ったばかりに、もはや脳内イメージ、視覚イメージは
全て「岡田准一」バージョンとでも言うべき、影響下に置かれることになってしまい・・・。


この作品を読むのに少し時間を置いた方がいいかもしれない。
そして、その後再び、DVDでも借りてきて、じっくり見直す、
そういう作業が必要かも知れないと、軟弱者のくせに、
思い入れと執着と後悔がない交ぜになった状態でいる、
鑑賞後の昨日の今日である。


それにしても生きることに執着するからこそ、
若者に生きる機会を与えるべく自分を捨てる、そんな世界を、
切羽詰まって生きることのない今の時代に問うのも、難しい話だ。
格差社会が、貧困世代がと言われるものの、
明日死ぬか今日死ぬかの瀬戸際で生きている訳ではない現代社会。


選ばなければ、何らかの仕事はある。
糊口をしのぐことは出来る。
不況だ、増税だ、人手不足だと行っても、
3K職種を厭わなければ、働く場所はまだ幾らでもある日本。
未来をもぎ取られて、生殺与奪の権を握られ身動きが取れない、
そんな社会ではないから、作ることが出来る「映画」なのだと、
しみじみ、平和な日本を有り難く思った次第。


憲法9条を改正する云々で揉めているけれど、
殆どの日本人は私を含めて、本当の戦争を知らない。
他国に干渉することされることの恐ろしさを、
知らないで、平和ボケして生きていると言われても、
仕方がない毎日を送っている。
読んでから観るか、観てから読むか、なんてことを呟きながら。


(補足:ちなみにこの映画は、2013年5月に逝去した俳優夏八木勲の遺作となった)

永遠の0 (講談社文庫)

永遠の0 (講談社文庫)