Festina Lente2

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怒りが浸透する日曜

実は9月22日に振り返りながら、この職場から離れた日々を回想中。
休み始めた当初は勤務時間中の午後に当たる時間帯、
もしくは終業時間や残業時間帯が近付くにつれて、
頭痛や眠気に襲われて、頭も体も思うように動かない、
そんな感じが強かった。読書といっても漫画を眺めて、
ぼーっと思い出に浸る、そんな霞の掛かったような按配で過ごす。
土曜日を日曜日と思ったくらい、毎日休んでいると、
あっという間に予定がない人間は、曜日の感覚が無くなるものなのか。


憩室炎や胃腸炎で入院した時は、病気は神様がくれた休日、
体を休めろというサイン、のんびりして英気を養い、
職場に、日常生活に復帰したらいい、そう周囲から言われて、
なるほどそうかと思っていたが、その時も実際、
自分の不摂生というよりも、誰のせいでこうなった?
負荷が掛かった? ストレスで押し潰されそうになったと、
自分のストレス耐性の弱さもさることながら、
恨むところ多々あったのは否めない。


職場で幾らか会話もあり、同じ部署では一番良く話もした、
心も許すところがあった人がこの春転勤し、
それはそれで自分にはとても応えた出来事ではあった。
日常会話、世間話ができる人というのは職場では貴重だ。
愚痴もこぼせる、弱音も吐ける、アドバイスも貰える、
そういう同世代が身近にいて、持ちつ持たれつ、
人間関係がある程度保たれていてこそ、負荷を持ち応えることも可能。

対人関係と適応の心理学―ストレス対処の理論と実践

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されど、かつて友人と思ったその人からの日曜の朝の電話は、
自分自身に押しとどめていた、意識しないように、
振り回されないように抑えていた感情を噴き出させるに十分だった。
休んだこと、休暇を取ったこと、そういう形で仕事に穴を開ける、
私を追い詰めた輩を見返すことなく、使い物にならないという烙印を
結局は撤退したこと、逃げたこと、職場から距離を取ったことを、
やんわりと避難される形だったから。


それは世間の反応、というものなのだろう。
自分自身も逆の立場だったら、そんなふうに感じたのかも知れない。
傷ついていても、誰もが傷ついているのだから、
疲れていても、誰もが疲れているのだから、
貴方だけではないと言われて、自分の落ち度を責められる。
「みんなと同じではない」自分の能力や存在を貶められる


ガンや怪我で休む人は三ヶ月半年休んでも
周囲から当たり前だと思って貰えるけれど、
私のように職場不適応にも近い、
モラハラパワハラで弱って自律神経をやられるような人間、
蕁麻疹や喘息、挙げ句の果てに不整脈まで引き起こして、
頭痛や目の前が揺れるような、者が一瞬見えなくなるようなしんどさ、
そういう者に悩まされる人間は、「そんなことで休む」人間なんだそう。
だから、復職できたとしても居辛いだけでしょうと言われた。


ガンや交通事故で足の1本2本亡くすような大けがで職場を休む、
そういう人が復職するのは誰も咎めず何も思わず受け容れて貰える、
歓迎されるとでも言うのだろうか?
心疲れる事は誰しも当たり前、自分だけ疲れたと、傷ついたと、
逃げ遅れたと、要領が悪かったと、そういうことなのだろうか?
彼女が言う。「悔しくないの、休む羽目になって。」
「もしも話し相手が欲しかったら、電話してね」


私が彼女に電話することはないだろう。
心疲れた人間が職場から距離を取ることは、
ガンでも怪我でもなく休んだ人間だというレッテルを貼られること、
そんなふうに言われたことを、忘れることはないだろう。
世間の人がそう思っていると、代表して言われた。
そう肝に銘じていいのかも、そう思った日曜の朝。
その後の記憶は、その日1日の記憶は、無い。

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