Festina Lente2

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メモリアルカウンセリング

最初に、今回の台風・地震で被害を受けた方々、
心よりお見舞い申し上げます。


“突然の死”とグリーフケア

“突然の死”とグリーフケア

死とどう向き合うか (NHKライブラリー)

死とどう向き合うか (NHKライブラリー)


予期しない災害で、人の命が失われる。
今まで慣れ親しんだ家や町、住環境の破壊。
二重三重に喪失の体験が、否応無しに襲って来ていた、その時、
大阪にいる私は、ワークショップの会場に居た。


「メモリアルカウンセリング」という言い方は、あまり好きではない。
モーニングワーク「悲哀(喪)の仕事=mourning work」
という言い方に馴染みがあるからだ。
「メモリアル」という単語に、どうしても拒否感を抱いてしまう。
何かしら、きれい事で飾っているような気持ちになってしまう。
何だかわざと綺麗な言葉で距離を置いているような・・・。


多分、今の私の感覚にぴったり来るのは、grief careであって、
memorial counseling ではない。
個人的な好みの問題と言われればそれまでだし、
今日の内容から意味づけすれば、「メモリアルカウンセリング」
なのですよということなのだろう。


それはともかく、まあ、ワークショップの題名には、
今更こだわるまい。要は中味だし。
自分が知っていること、今まで得てきた知識、
自らが体験したこと、再体験・追体験すること、
セルフケアの一環として、昨日のワークショップの方が
きつかったかなと言えば、そうかもしれない。


よく生き よく笑い よき死と出会う

よく生き よく笑い よき死と出会う


何を失うか、何が失われるか、何を喪失体験と呼ぶか、
何を嘆き、何を愛惜し、何を拠り所としていたのか。
直接・間接的に、意識的無意識的に繰り返される問いに
心も体も休まることなく疲弊していく、今。
喪のプロセスをわきまえて、取り組む必要。


カウンセラーとして寄り添うこと。
単なるスキルでは歯が立たない、シビアな課題。
常に試されるのは「生と性と死」について。
私はいつも違和感を抱く。
「どうにかしてあげたいんです」という発言に。
心理的なサポートというものは、
COが「どうにかしてあげる」ことでもなければ、
CLが「どうにかしてもらう」ことでもない。


確かに「どうにかしたい」とは思う。
打開したい、今の状況から少しでも良い方向へ、
納得できる方向へ、自らの目標へ、
少しでも近付いていけるように。
でも、それは私の納得や目標ではなく、
あくまでも、この仕事をしている時の、
関わっている時の、目の前にいる人が、だ。

死をみつめ、今を大切に生きる

死をみつめ、今を大切に生きる

ライフ・レッスン (角川文庫)

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