Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

「おくりびと」と「つみきのいえ」

念願のアカデミー賞
昨夜は昼夜二つの講義の末、深夜に帰り、ニュースを知るのが遅れた。
気がかりだったが、二つとも賞を取るとは思わなかった。
日本の映画が全世界に知れ渡る。
日本の映画の中の日本の心が、人を思う気持ちが、
死を迎える諸相の中にあるドラマが、
様々な生き様を伴って一つの流れとなる。
当たり前の人生の当たり前の側面を捉える、
生きることへの切なさを通奏低音に繰り広げられた世界。


おくりびと」を見たのは半年近く前。娘の誕生日。
その時の記事はこちら。
http://d.hatena.ne.jp/neimu/20080927/1222700463
映画を見た直後の自分の気持ち、自分の思いに改めて驚く。
再び同じ映画を見ても同じようには感想は書けまい。



つみきのいえ」は12分間の作品らしいが、
どんな形で公開されるのだろうか。
調べてみると、どうやら職場の近くの映画館で見られるようだ。
と言っても、どうやって抜け出せる?
この馬鹿みたいに忙しい時期に。


それにしても、粗筋を見ただけで胸が締め付けられる。
―海に浮かぶように建っている、まるで「積み木」のような家。
 海面がどんどん上がってくるので、上へ上へと家を「建て増し」
 続けてきたからです。そんな家にひとりで住んでいる頑固な老人の
 家族との思い出の物語―


記憶というものが上へ上へと積み重ねられていくものならば、
「つみきの家」は追憶を辿る為に下に下に潜水するようだ。
無意識は水にたとえられる事が多いけれど、
意識的に潜って行くのだから、それは楽しくて辛い作業だ。
今は無い、消えてしまったものを辿る作業は、
懐かしさを通り越して切なくやるせない。
まだ作品を見ているわけではないが、粗筋を読むだけで、
こんなふうに考えてしまう。


ああ、きっと「つみきのいえ」は、人の心の無意識から
揺さぶりをかけてくるような作品なのだ。
だから、言葉はなくても世界中に通じるメッセージを
しっかりと持っているから選ばれたのだ、と。

つみきのいえ

つみきのいえ

ましては「おくりびと」は、一人の人の歴史が閉じられる瞬間を、
人間の尊厳を損なわぬように調える過程。
日本人が忘れてかけている、四季の景色の中での生と死の儀式を
映像の中に鮮やかに捉えていたのが印象的だった。
おそらく映画の中の景色が、冬から春へと移動していたせいもある。
魂のこもる冬、静かに動き出す春。


魂がさなぎの様に人の体の中に閉じこもり、
火葬の火の中で清められて、天空に帰り、
再び私たちの中に新しい形で還ってくる。
冬籠る、繭の中に納まる、白い衣、白木の棺。
次元の異なる世界へ移行する過程で、
周囲との関わりから絡みつく限りない愛着を、執着を、
静かに拭い去っていくかのような、納棺の儀式。


清められるべき物が清められ、納められる場所に納められ、
様々な死のありようが、それぞれの思いに凝縮され還元され、
安らかに旅立てるように。
私の中での祖父母の死、恩師の死、そういうものを
再び思い出させてくれた、「おくりびと」。
映画を見た感慨が再び蘇ってくる。


あの後、やたら新聞の訃報欄に心が動かされたものだ。
最も訃報欄を気にする年齢になったということだろうが。
誰がどんなふうに生きどんなふうに去っていくのか、
そういうものに敏感に、いや、あの時期過敏になっていた。
10月だけで5人ほどの訃報・葬儀についてブログに書いていた。
生きていること死んでゆくことに、思いを馳せた時期たった。


これから「おくりびと」を見る人は、何を感じるのだろうか。
私は2度目を見るだろうか。いや、今すぐは見ないだろう。
変な言い方だが、1度目の感慨を今はまだ崩したくない。
そんな気がするから。最初に観た時の思いを消したくはないから。
世界的に有名な賞を取れたことは、本当に良かったと思う。
多くの人が、死について、死にまつわる様々なことについて、
思いを馳せるきっかけになるだろうから。
メメント・モリの新しい形になるだろうから。

おくりびと [DVD]

おくりびと [DVD]

納棺夫日記 (文春文庫)

納棺夫日記 (文春文庫)