Festina Lente2

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暦の夏

水無月となりました。ま、実際は旧暦ではまだ皐月ですけれど。
6月はどうして梅雨なのに「水の無い月」だと思っていたら、
本来は「水の月」だったそうな。どうして、「の」が「な」に?
まあ、言葉の変化ってこんなものと言われたら、そうかもしれない。
でも、漢字の「無」を使うとは、禁じ手だよ・・・。
どう考えても誤解を招く。
それに、旧暦ならば水無月は夏の終わりの月。
どうにもこうにも、矛盾した暦の上での生活。


もっとも、縁起を担ぎたがるお国柄、日本。
葦(あし)を葦(よし)と言い換え、するめをあたりめ、
梨を有りの実と言っていたくらいだから、
「水有り月」のはずの6月が「水無し月」になっても、
逆説的、呪術的な言語表現の一環、ゲン担ぎ、なんでしょう。


田植えの季節に雨が降らないと稲が根付かない。
田んぼに一定量の水が張れないと、作付きに影響が出る。
どうぞ雨が一杯降って、水が沢山溜まりますように。
でも、自分の田んぼだけ水があれば妬まれる。
うーん、邪眼よけのような月の名前。


東洋でも西洋でも、子供がなかなか育たない家は、
女の子を男の子の格好で、男の子を女の子の格好で
成人式まで育てたりしたというから、迷信とは言え、
「水無し月」という、言葉遊びで、空梅雨を避けたのかもね。
程々の降雨量、程々の水加減、程々のお天気を所望。


そう、水は怖い。雨は怖い。自然は恐ろしい。
空梅雨となれば日照りで大変、長雨となれば洪水で大変。
八大竜王の機嫌次第で、日本の食生活は左右される。
祖霊の宿る穀物、お米の出来具合こそ、祭事の一大事。
過ぎたるは及ばざるが如し。
地球温暖化の異常気象が怖い。


雨は、天からの恵みを、人が両手を掲げて頂こうと仰ぎ見る形だとか。
甘露、慈雨、穀雨、灌漑設備が万全でなかった時代、
どれほど自然の恵みに頼っていたか、文字の上から伺える。
そう、田んぼに水が入るこの季節、空が映る景色が好きだ。
餘部の鉄橋が壊されるので、今年が最後の逆さ鉄橋。
水田に映される景観は時代と共に、変化していく。
・・・もっとも水田そのものも、身の回りから消えているのだが。
              


今週の朝は、肌寒かった。本当に朝は寒かった。
おまけに曇っていて、雨が降りそうだった。
娘の小学校はスポーツ大会。
どうなるかなと心配していたけれど、午後からは陽射しで暑い。
あっという間に夏の雰囲気に様変わり。
制服の定められていない小学校は、衣替えが無いから、
娘はいつものように、長袖のTシャツで出かけていった。


最近娘は、田植えをしたような模様の、
白と薄緑色のシャツを着ている。
今流行のチュニックのようにも見え、
丈の短いワンピースのようにも見える。
下の模様が透けて見えるぐらいの薄物なので、
本人なりに、重ね着のおしゃれを楽しんでいる1枚なのだが。


実は男物の、変わり織りで凹凸の付いた
サマーウールの半袖シャツだ。かつて家人に贈った物だが、
こともあろうに、乾燥機にかけて縮ませてしまい、
ウールなので虫が食ったのか、凹凸に沿って水玉が二つ。
そう、穴があいている。模様のように。


私は難色を示したのだが、
家人は大きさが丁度だと娘にやってしまった。
まさか、本当に重ね着で行くとは思わなかった。
学校に着て行っても男物だとは、誰も気が付かなかったらしい。
我が家の一人娘、家刀自(いえとじ)となるはずの娘、
家人のおんぼろシャツに守られて、登校している。
早乙女よろしく、田植えを思わせる色合いの白と緑の色重ね。


お古を嫌がらず喜んで着ていく娘、
おませな憎まれ口をたたいたりもするけれど、
それはそれで成長と、ついつい甘くなってしまう親心。
五月闇に迷う程に、親としては色々思い悩む。
殿御の装束を身に付けて、行き来する君の姿を見るに付け
・・・やはり、君の為の加護を何かにつけて祈る。
守ってくれるものであれば、何にでも。


水無月、水豊かな葦原瑞穂の国の美しい言霊よ、
どうかみんなを守ってください。
この夏も無事に過ごせますように。

水の名前

水の名前

雨の名前

雨の名前