Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

空に風、地に水鏡

さつきが相変わらず美しい。我が家には余り無いが、
長く咲く花は、それなりに経済効果大。(長持ちは大事)
うちは、赤とピンクのゼラニウムがこの時期の定番。
薔薇はそろそろ終わりかけ。梅の実はかなり膨らんだ。
といっても、年々収穫量が減っている。
筍ももう終わり、篠竹がもう少し食べられそうかな。


小さな庭に、これでもかこれでもかと植えたがる母。
土の上には野菜たち、吊り下げた鉢は歩く人を楽しませ、
直置きの大振りの鉢の蘭やアマリリス
にょきにょき伸びてきたカンナ、毎度ちぎられるパセリ。
伸び放題になってきたレモンバームとミント。


丹精を込めた母の庭を見るたび、小さな箱庭、島宇宙
お気に入り、目に見える喜びに胸が痛くなる。
私は、この技を受け継ぐことはできないだろう。
耕し、目を掛け、芽を摘み、選び、育て、水を撒き、
愛で、花柄を摘み、雑草を抜き、収穫。
常に季節を先取りした時空間・立体構造のお手入れなど、
到底私にはできそうに無い。


それに、この時期私の心を奪う景色は田んぼ。
水を入れられた田んぼ。水を引かれたばかりの田んぼ。
田植え直前の水鏡のような田んぼ、田植え直後の田んぼ、
空を映し、水紋を微かに振るわせながら渡る風の宿る田んぼ。
どこまでも、心を移す真四角の、あるいは多角形の、
或いは丸みを帯びた様々な形の田んぼ、
水に守られた田んぼ、水を満々と湛えた田んぼなのだ。

             

四捨五入すると80になる父は、近くの小学校にボランティア。
田植え、稲刈り、餅つき、わらじや注連飾りの授業に出かける。
農家の末っ子で自分の田んぼなぞ、一生持つこと叶わぬ、
「外に出された」人間なのだが、幼少時・青年期、
家業として覚えた農作業は、母共々しっかりと根付いているらしい。


庭は花畑ではなく、菜園。耕し、肥やしをいれ、地味を整え、
種を蒔き、苗代、苗床、爪が泥に染まる田植え。
そんな時代の感覚を、私とすれ違う生活の中で、
広い土地を持たない生活の中で、ささやかに実現し続けている。
植物を慈しみ、花も実も生活の滋養とする両親の生活。

私の手には苗は無く、植えるべき田も無い。
私の心には水を引く田も、耕された土も無い。
あのほこほこと温もりのある、雀の鉄砲やからすのえんどう、
オオバコに覆われた畦道に縁取られた、
時には「田毎の月」を持つこともある斜面。


私の心には、空を映す広々とした田んぼが必要だ。
小さな苗にさやさやと風が渡り、吹き抜ける先は海。
小さな祠には神様が祭られ、稲魂が宿る。
流れる雲が、一日を刻む太陽が映し出される水面に、
私は私の心を投げかけ、映す。

                     

梅雨を受け止め、目立たぬダムとなり、
溢れる感情を穏やかに溜め、稲を育てる。
まっすぐ伸びる緑の葉に、糸とんぼは停まる。
蛙は歌う。蛍は光る。
私はあなたと散歩をしよう。
私は私と散歩しよう。どこまでも、
細く長く続く、畦道を、浮き草を眺めながら。


この季節、心を耕し水を引き、
空に風、地に水鏡。

田んぼの生き物図鑑 (ヤマケイ情報箱)

田んぼの生き物図鑑 (ヤマケイ情報箱)

地域と環境が蘇る 水田再生

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