Festina Lente2

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人の幸せを願う

娘にとって大切な従弟たち。しかし、まだ2歳半。
しかし一人っ子にとっては、お姉さんになることは簡単ではない。
話題の中心は、幼い子にさらわれ勝ち。
構って貰えない、注目されない、そういう体験に慣れていない。
従弟達にとっても、たまにしか遭わない伯父夫婦や従姉は
馴染みの無い人たちで、最初はちょっと怖がって泣いたりする。
私達は平気でも、娘は会うのを楽しみにしていたので凹んでいる。


ドライブインで名前の入ったお箸を買い、食べ易いお菓子を探し、
彼女なりに良きお姉さん像を思い描いている。
それぞれ成長の度合いに差があるので、気を遣って相手をする。
服の着せ替え、靴の履き替え、手を引き、階段を抱っこし、
「もはや8歳である」という自負は、
自分の存在を主張する手段に拍車をかける。


誰かに遊んで貰うのではなく、自分が遊んであげる。
遊んで欲しいのを我慢して、相手に合わせる。
自分がちょっと辛い思いをしても、我慢できる。
これがなかなか難しい。そう、かーちゃんもなんだよ。
だから、君が一生懸命に従兄弟達のために「お姉ちゃん」
しているのを見ると、微笑ましいながらも涙が出る。

おねえちゃん

おねえちゃん

あぐり流 夫婦関係・親子関係―しなやかに生きて96歳

あぐり流 夫婦関係・親子関係―しなやかに生きて96歳


家人の実家は敷居が高く、胃が痛む。頭が痛い。
仕事、プライド、生き方、本当は夫婦別姓でありたいこと、
意に沿わぬ様々なこと、天地がひっくり返るほどの難儀、
青天の霹靂、露わになること、人それぞれの思惑。
妻にはなるが嫁にはならぬ、娘を産んで何が悪い。
人として母として義理の娘として、そして女として
賞味期限切れが並ぶ正月膳に、「始末」よりも情けない思い。


内孫外孫、男腹女腹、男女で差がつく祝い事。
先進医療の成果を無視した、神掛かりな健康食品の押し付け。
誕生日やクリスマスにお祝い・贈り物の習慣など無いと
お年玉さえ貰えなかったこと。
仕事を続けることを認められなかった過去。
そういうものにこだわらずに、さらりと生きていくのは難しい。
さて、10年若ければ我慢できないことも、今ならできる?


着物を着ないかーちゃんは、心の中にある無数の引き出しに
樟脳、虫除け、ごまんと入れて、ブラックホールの様相。
苦い思い出は年季の入った年代もの。手に取って見出すときりが無い。
だから、畳紙に巻いてしっかり紐をかけて、しまっておくに限る。
されどされど、君の頑張りを見ているとかーちゃんも頑張れる。
報われるために生きるのではなく、自分のために生きるのだから。
見返りのために頑張るのではなく、自分のために頑張るのだから。


娘よ。良き従姉でありお姉ちゃんであり、
孫であろうと努力して、バランスを取っていた娘よ。
君もいつか将来、子どもとして親を情けなく思い、
その真意、心の距離を測りかねて理解しがたい時も来るだろう。
私達がそうであるように。
娘よ。それでも、やはり人は憎むよりも恨むよりも、
許し、認め、幸せを祈る方がいい。
それが、諦めに近い嘆息を伴っていたとしても。


娘も私も、そう、かーちゃんとーちゃんも、
逃れられない繋がりの中にある。断ち切れない思いの中に。
だから、泣いたり笑ったり一緒に暮らすことができる今が大事。
君にお年玉を渡し、お守りや福袋を買うお正月。
ゲームをしながら過ごすお正月が、2度と来ないお正月だと
知っているからこそ大事にしたい。


「はじめてのおつかい」の番組を見て、涙していた君。
今でも、とーちゃんかーちゃんは君を見ていつも思う。
あんな小さい頃、こんな頃、あんなこと、こんなこと。
毎日が、誰の目にも届かない所におつかいをしにいくようなもの。
思い出は嬉しくとも楽しくとも、甘辛く切なく苦く寂しい。
その中心にある君のために幸せを願う。
君に繋がる人のために幸せを願う。
怒りや哀しみを越えて、人の幸せを願う。


これがかーちゃんの事始。そして君の事始。
そして、みんなの事始となりますように。

幸せな王子

幸せな王子

人魚姫

人魚姫