Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

娘の「学ぶ楽しさ」から学ぶ

梅雨明け宣言はまだのはずなのに、この暑さと来たら。
七夕に雨は厳禁とはいえ、さっと涼しい夕立くらい来てほしいですね。
天の川が見える所には住んでいませんが、今宵は曇り空。
牽牛織女の逢瀬はどうなったことやら。
カササギの渡せる橋ならぬ、夫婦の間を取り持つのは、娘の存在。
どちらの血も引く愛娘。
そんなに急いで大きくならなくてもいいのに、
のびのびと大きくなり上背があるものの、ぽっちゃりふっくら成長。


そんな娘に、今年から新しい通信教育をさせている。
学童に行かせるどころかみんな塾通い。
しかし、小学生から18時から22時という弁当持参の塾に通わせる、
そんな教育方針を持たぬ我が家は、とりあえず、通信教育。
去年までとは異なる、ちょっと難し目の内容に変更。
こちらも忙しいから点検などせずに、返信。
すると早速、採点用紙が送られてきた。
かーちゃんは赤色でペン入れされている箇所をチェック。
なかなか100点取れないね。

授業を変える: 認知心理学のさらなる挑戦

授業を変える: 認知心理学のさらなる挑戦

  • 作者:国学術研究推進会議,ジョン・ブランスフォード,アン・ブラウン,ロドニー・クッキング,森敏昭,秋田喜代美,National Research Council,John Bransford,Ann L. Brown,Rodney R. Cocking,21世紀の認知心理学を創る会
  • 出版社/メーカー: 北大路書房
  • 発売日: 2002/10/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • 購入: 1人 クリック: 7回
  • この商品を含むブログ (13件) を見る
なぜ日本人は学ばなくなったのか (講談社現代新書 1943)

なぜ日本人は学ばなくなったのか (講談社現代新書 1943)

赤ペン先生といわれる通信教育の採点者には、現役の先生が多いと聞く。
丁寧な字で図解や豆知識、応用問題など書き添えられている。
のんびりやの娘はテキストを仕上げた段階で、答案を送っているので、
実に1ヶ月遅れの進度なのだが、まあ取り組んでいるだけ儲けものか。
ピアノのように気が向かなくなると、泣き泣きということも無く、
こつこつそれなりに問題を解いているようだった。


こちらもいちいち細かいチェックをして、提出させているわけではない。
したがって、こんな間違いが? みたいなケアレスミスが続く。
あれまあと親としてはがっくり来るのだけれど、娘の反応は違う。
こちらとしては思いもよらぬ反応、そうなの? と不思議になる反応。
というのも、「沢山直されていて嬉しい」というのだから。


去年までの添削問題は易しすぎていつも100点、面白く無かったのだそう。
今年は考えてもわからない問題が増えて、返送されてくると、
様々な書き込み、間違いオンパレード。
それを直してくれて、沢山書き込みがあるのが嬉しいと言う。
苦労して解いた問題にペンが入るのは嬉しいと言うのだ。


普通なら100点取れないとめげたり、ケアレスミスを無くしましょうと、
カチンコチンになる試験兼提出問題なのだが、
この頃は少々間違っていても、色々構ってもらえる形の、
書き込みの多いアットホームな雰囲気の先生がお気に入り。
「楽して100点」よりも、考えて苦労して解いて、
×を付けられるよりも、説明が一杯の方が楽しくて嬉しいらしい。
この反応は以外だった。


100点じゃないと拗ねたり落ち込んだりするかと思い、
わからないなあと思いながら取り組む問題、計算は面白くないと、
頭から思い込んでいたのは、かーちゃん。
楽しみながら難問に取り組み、添削を心待ちにして、
「もう1度やり直ししてみるね」と答案に向かう娘の、
何とあっけらかんとしていることよ。


やり直す事が、解き直す事が、間違っても再チャレンジする事が、
当たり前のようでなかなか出来ない、普通。
何が出来ていて何が出来ていないか、ばっさり二分されてしまい、
出来ると出来ないに分けられてしまうと、思い込んでいたのは、
決め付けていたのは、かーちゃんの方だったか。


朱が入ることに抵抗を覚え、なるべく書き込みなどされぬように、
○だけ貰えばそれで良しと、間違うことに絶えず怯える、
貧しい教育を受けてきたのは、かーちゃんの方だったか。
間違えても楽しく覚え直す方法があるなどと、
思いもよらないかーちゃんの子ども時代。


添削の先生は○×だけでなく、アドバイスや考え方、
解き方の工夫を絵も交えて書き込んでいた。
社会の答案に至っては、こういう言葉も現在はあるんだよと、
「トレーサビリティ」の解説まで書かれていた。
娘は英語で勉強しているんだよとご満悦だ。
(むろんカタカナで書かれてはいるのだが)


興味関心を引き出し、モチベーションを上げて、やる気を伸ばす。
娘には間違うことよりも、添削の余白が楽しいらしい。
気に掛けて貰い、ヒントや知識に溢れる一言、クイズ。
それが発達段階に合っていたのか、「間違っても楽しい」
勉強に通じるらしい。理解出来るということが、
色々覚えられるということが、楽しいのだろう。


負うた子に教えられる。間違うこと、失敗することを恐れ、
出来るだけミスの無いように、そればかり気にしてきた。
「失敗から学ぶ」という言葉はを知っていても、
そこからは苦い後悔や後味の悪さ、精神的な傷ばかりを連想してきた。
それは自分の経験の貧しさ、乏しさ、認知の問題。


娘の勉強の段階では、「朱が入る」ことは確かな成長へのステップ。
娘の学びでは、世界を広げる様々な手法との出会い。
間違えることから、ああそうだったのかと一旦立ち止まり、
周りを見渡し、考える習慣をつけ、シミュレーションする。
知っている知識を、関連付けを、拡大解釈を試みる過程。
そういう知的な作業への足場を固める、
学ぶ楽しさを知る段階なのだったなあと改めて実感。


間違っていれば間違っていたで、合っていれば合っていたで、
それぞれの言葉掛けは違うのに、ワンパターンなものの見方に陥っていた、
自分の「答案の見方」に恥じ入る。
できているかいないかだけに拘っている、
書けているかいないかに拘っている、
二者択一でしかない自分の物差しに恥じ入る。


娘が家人のベランダに飾ってきた短冊への願い事。
字が上手になりますように。
手芸や料理が上手になりますように。
写生がうまくなりますように。
勉強がはかどりますように。
地球温暖化が遅れますように。
オゾン層が広がりますように。
スイミングでは「タイムが速くなりますように」


娘の成長にばかり目が行って、
地球環境のことなど願いもしない狭量なかーちゃん、
赤面です。
世間様との間にも、家人との間にも、
橋を渡してくれるのは、我が子。
親馬鹿ながら、そう思った七夕の夜。

人が学ぶということ―認知学習論からの視点

人が学ぶということ―認知学習論からの視点

生きること学ぶこと (集英社文庫)

生きること学ぶこと (集英社文庫)

可変思考 (光文社文庫)

可変思考 (光文社文庫)