Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

何をして過ごす?

家の中にばかりいるのは私達のせいだ。
近所に友達が居ない。週末の休日を行ったり来たり。
母の職場と父の職場、母の住処と父の住処、
娘の日常から、家族に非日常へ移動祝祭日、週末。
何をして遊ぶ?


外へ出て遊ぶには暑すぎる日中。娘が本好きなのは結構だが、
仕事をしている私の側で、一日中過ごすのはおかしい。
ピアノのレッスンも宿題も何もせずに、遊ばせる訳にもいかない。
家人は、予定を組み立てて行動する人間ではない。
何も言われなければ、概ね昼寝ばかりしている。
何か、生産的な事が出来ないのだろうか?


暇つぶしの読書ばかり覚えて欲しくは無い。
嫌々練習するよりも、早く楽譜から音を拾って欲しい。
いちいち言われるよりも前に、自分から宿題をして欲しい。
かーちゃんは2件の家の間を行ったり来たり、
何だか10年前を同じようには、体が持たないのだ。
別居結婚がどうこうというのではなく、何もかも完璧にはできない。
君たちに、もう少し動いてもらいたいのだが。

イラスト版 子どものお手伝い―子どもとマスターする49の生活技術

イラスト版 子どものお手伝い―子どもとマスターする49の生活技術

お手伝いで子どもの心を鍛えなさい

お手伝いで子どもの心を鍛えなさい


体を動かす遊びと頭を動かす遊び、子どもには、両方必要。
かーちゃんの体は一つ。家事・育児・仕事。
君たちは休日だと、一日3度の食事をボーっと待っている。
冷蔵庫の中に何も無くても、食べ物が出てくるとでもいうように。
しまってある野菜は食べなくても、いつまでも長持ちするかのように。


食べるように置いておいても、外食=日常の食生活の家人。
くいだおれの大阪に来てから、いっそう外食に頼る生活。
何が食べたいと訊いても「おいしいもの」と答える家人と娘。
買い物に2人で行かせると、とんでもないものを買ってくる。
切り身で味付けのしてある、長持ちのしないナマモノ。
しなびたネギがまぶされた、薄切りの不味そうなチャーシュー。
旬のものではないはしりの高価な果物。
目に付いた、欲しい気持ちだけで買い物をしてくる。
どうして、かーちゃんが買わないものばかり買ってくるのか。
予算などはお構い無しに。


家人の買い物感覚には付いていけないし、
今から仕込もうとも思わない。
きちんと食べよう、栄養を取ろうという感覚が無く、
出来合いを口に入れる生活を18の歳から続けていては、
食生活も何もあったものではないのだろう。
そのように育てられてきた18年を、私は再教育しようとは思わない。


強いて言えば、好き嫌いなく、何でも食べてくれる。
それはそれで非常にありがたい。
少々手抜きの料理でも、味付けが濃かったり薄かったりしても、
ちゃぶ台をひっくり返したり機嫌が悪くなる、ということは無い。
今まで臍を曲げられたのは、結婚前、かつおのたたきに
自分の大好きなにんにくをたっぷり掛けたことくらい。


それでも私の仕事中、特にこの忙しい時期、
一食ぐらいは作って欲しい。それとも子どもの相手をして欲しい。
親の時間の潰し方を観て子どもは育つのに、
2人きりで何か、したいことは無いの?
映画や出来合いの遊びで無く、2人で体を動かしたり、
声を出したり、頭を働かせたり。


ミラクル7号』を見せたいといったあなたが、
どんなふうに愛情を示そうとしているのか、
「範たらん」としているのか、わからなくなる。
映画を見せてもその内容は、親の愛情の「代理」でしかない。
週末の送迎は、儀式のようなもので愛情が土台でも、
子どもにはもっと具体的な「何か」が必要なのに。


笹飾り一つ作るのに、パンチで穴を開けたり、
荷物用のビニールの紐を紙縒り代わりに使おうとしたり、
そういう些細な所で、私は打ちひしがれる。
紙縒りもよれず、切り紙も出来ず、あまつさえ紐さえも、
1本1本切ろうとする手順の悪さに苛立つ。


普段なら目をつぶっていられるけれど、
「どうして笹なんか持って、家に来るんだ」と怒鳴り、
「七夕飾りを作るなんていう予定は、週末の予定に知らされてなかった」
と不機嫌になり、娘の前でやり取りせねばならなかったのを、
昨日を、私は根に持っているよ。
では、どんな週末にしたいのか計画を持っていた?


私にはやりたいことしなければならないことの予定が、家事以外にある。
家にいるということは、その為に別の予定を諦めているということ。
家族で過ごすための時間を確保しているのだということが、
何故、わからないのだろう。
子どもに鋏を持たせ、糊を塗らせ、色を選ばせ、字を書かせ、
そういう一つ一つを見守る時間を、意識して持とうとは思わないのか。


子どもの旬は短いから、まして、親が何かを一緒にしてやれる時間は短いから、
一緒に暮らしていても、父親は娘が寝てしまう時間にしか帰ってこないから、
週末を大事に思っているのに、『笹飾り』1本で声を荒げられると、
どうしようもなく憂鬱になる。
楽しい時間を過ごしても、その出来事が尾を引いて、
これからの子育てや、家族の在り方に不安を抱いたりする。


もちろんこれは、生活していく上での日常茶飯事の小さな出来事の一つ。
でも、小さな出来事だから心に小波が立つのだ。
笹飾りの願い事に子供の成長を願わず、「商売繁盛」なんて書く、
デリカシーの無さに、うんざりするのだ。
私が短冊に書いたから、自分が願わなくてもいいという、
そういうものでもないと思うが・・・。


何をしてどんなふうに過ごす? 自分の意見があるなら言えばいい。
その結果、別行動だって構わない。
娘とどんなふうに過ごしたいのか、家族と何をしたいのか、
生活を、子育てを、未来の予定を、イメージをビジョンを語ればいい。
小言やしつけ、愚痴ばかり言う役を、私に押し付けないで。
休日だからと昼寝やTV、息抜きばかり。
フルタイムで働いていて、体を休めたいのは私とて同じ。
「宿題をちゃんとしたのか」さえも訊けない父親にならないで。

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