Festina Lente2

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「昔調べ」とな

冬休み、大人にとっての正月休みは終わり、明日から出勤。
昨夜家人は、平日の家に帰る娘と離れ難くて添い寝をしたのだが、
とーちゃんに布団を取られたと娘からブーイングの嵐を受けて、がっくり。
そりゃあね、抱きかかえて眠る幼子の時代は終わりましたよ。
もう一人前の大きさです。4月になれば小学校4年生。
短い休みの割に宿題に追われています。漢字ドリルに計算ドリル。
書き初めに、社会の昔調べ。


いつの時代を「昔」というのか。人によって違うでしょうね。
かつて「明治は遠くなりにけり」と詠まれた時もありましたが、
新年あちこちの神社に掲げられているように、天皇陛下在位20年が過ぎ、
平成の御世も21年目に突入。早いものです。平成生まれはとっくに成人。
娘の宿題を見れば、昔調べは明治時代からとなっている。
まだ歴史を習っていないので、近代から基準に調べさせるわけね。
ふむふむ、え? 100年ぐらい前から30年ぐらい前までを調べなさいって!?
つまり、それは我々昭和生まれの子供時代はとっくに「昔」扱いなわけ。
かーちゃん、軽くショック。


おじいさんおばあさんに昔の事を聞きましょうとなっているけれど、
両親がそう、我が家のように高齢出産の家では十分「昔話」ができる。
何しろ大阪湾の埋め立て前、浜寺公園高師浜・羽衣・助松・松ノ浜一体、
南海本線沿線が海水浴場だった頃を知っている私。
社宅で過ごした平屋は五右衛門風呂。毎日の手伝いが薪割りと風呂焚き。
野原で遊ぶ時には肥溜めに落ちないように注意されたもの。
むろん紙芝居も見たことがある。御手玉・羽根突き・独楽回し、凧揚げ。
正月の遊びだって伝統的といっちゃ恥ずかしいけれど、
女の子だって独楽を回したし、男の子だって羽根突きをした。


DSで時雨殿、ゲームで百人一首をやる世代からみたら、
かーちゃんの昭和の子供時代は十分「昔」です。
アルミ食器の給食、鯨の竜田揚げ、三角のテトラパックの牛乳、
さすがに脱脂粉乳のミルクの経験はありませんが・・・。
たこ焼きは経木が当たり前、発泡スチロールやプラスチックの容器なんて。
思い出したら切りが無い。でも、娘は親に尋ねることなく、
図書館の資料を漁って、人力車なんぞ書いています。
こういうものが子供の目にとっては、目新しいものなんでしょうか。

写真が語る子どもの100年 (コロナ・ブックス)

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ビジュアルNIPPON 昭和の時代

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宮本常一の写真に読む失われた昭和

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幸い今では資料となるような、手頃でいい写真集が沢山あり、
また私が趣味と実益を兼ね懐かしさ半分で揃えた本もあるので、
調べ学習には事欠かないはずなのだが。
娘が興味を持って見入っているのは、大正時代の林間学校風景。
正座してお昼を食べているマナーの厳しい躾教育が「ありえない」のだそう。
本人の感情移入の程度からすると、とても自分には耐えられないとのこと。
それはそうでしょう。


ちんどん屋ではないものの鎧兜で仮装している唐辛子売り、
子供達を沢山集めて商売している紙芝居屋、
戦後の「ギブ・ミー・チョコレート」の写真、そういうものに付箋。
娘の感想を盗み見ると、宣伝の仮装のため手作りの紙の鎧を作るのは大変。
みんな楽しそうな紙芝居の写真。
車から放り投げるのではなくて、手渡ししている米兵は優しい。
そういう観点で写真を選んでいる。大人が感じる所と異なるのがわかる。


よく心理テストであるが、自分の好きな時間帯は? もしくは
今の自分を時計に喩えると今何時? ご存知の方も多いはず。
概ね自分の人生の時期を時計の時刻に喩えがちという、あれ。
若者は午前中を、壮年中年は午後を、老人は遅い時刻を述べがちだと言う。
一般論はともかくとして、娘によく言われるのは
「お母さん、思い出の品多すぎるよ。」娘の衣服やちょっとしたものを、
押し入れに仕舞っているのが、仕舞っている以前に場所を取り・・・。


娘にすれば自分の記憶に無い乳幼児の時代のものに執着する母は、
奇妙で滑稽、大げさでセンチメンタルな存在なのだろうが、
実際、思い出の品を見ると幾分若い頃の気持ちに浸れる。
学生時代のものを見れば学生時代に戻れるような気がし、
娘が今よりずっとずっと幼い頃の品々を見ると、若い母というよりも、
トウが立った若葉マークかーちゃんだった昔を切なく思い出す。


何を持って昔とするか。人それぞれ思い出は尽きないだろう。
仕事においても私生活においても、それぞれ段階を踏んで変化してきた自分。
その自分自身を取り巻く環境、愛しい人々、様々な人々。
引っ越しの度に今度はどんな社宅に住むのかな、そんな気持ちで過ごした子供時代。
結婚してみれば、家人の社宅も今で三つ目。そろそろ次はどこ?
約3年周期かなあと感じている今日この頃。


実家だけが、社宅から持ち家になって古びて行きドンと構えていると言うべきか、
ボロボロになって鄙びてくすんできていると言うべきか。
ただ自分の机の中にはタイムマシン、タイムカプセルの如き昔の文房具。
文がらその他、たわいの無い蒐集物が依然どっさり隠れている。
職場の机の中とは異なり、実家の机の引き出しは宝の小箱と化している。


どこでもドアではないけれど、娘にとっての昔調べは、
私にとってはすぐそこにある自分の世界、ちょっと以前の自分の姿、
若い頃の生活、幼い頃の思い出の数々と直結している。
その懐かしい名残惜しい日々を、『昔』と単純に割り切って、
客観視できるほど醒めてはいない自分を、苦々しくも、
初々しくも感じてしまう今日。

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