Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

私の知らない羽田

空港ではなくて一大歓楽地だった羽田がそこにあった。
ブラタモリ 第14回、羽田。http://www.nhk.or.jp/buratamori/broadcast/index.html
子供の頃、空港の名前として「羽田」を知った時、
地名に「羽」が付いているから空に関係あるので、
空港を作ったんだと無邪気に思っていた。
それくらい羽田=空港でしかなかった。


まさか、戦前派お稲荷様を中心に賑やかな参道を持ち、
潮干狩りに温泉、歓楽地として名を馳せていたとは知らなかった。
おまけに、羽田は昔からの道が残っていて、
鎌倉時代からの道と江戸時代からの道はカーブの仕方で区別が付くという。
かつて湾だった場所に向かって平行なのは江戸時代の道、見通しがいい。
反対に折れ曲がってカーブが付いているのは鎌倉時代からの道、
向こうが見えない。ちょっと迷路のような・・・。


その接点になっている場所にはやはり小さな神社があって、
その参道も途中から折れ曲がっている。何とも珍しい曲がった参道。
タモリはその折れ曲がった参道の角になった所に立ち、
鎌倉と江戸二つの時代を股に掛けて立っていると嬉しそうだった。
ふと見過ごしてしまいそうな普通の道、路地、神社に二つの時代。


昨年アースダイバーという言葉を知る以前から、
この「ブラタモリ」はお気に入り番組だった。
だが、木曜の夜は色々用事が入ることが多く、帰宅が遅い。
TVはなかなか見られない。(録画しておけばといいことなのだろうが)
NHKには庶民の家の中に入っていって行き当たりばったり、
土地の人と触れ合いを求めた番組があるが、編集も今一つで冗長でだるい。
この「ブラタモリ」はあちらこちら歩き回ってているのに、
その下手な演出となりかねない地元の人との触れ合いの場面が少ない、
もしくは程よいもので、気だるく感じない。


潮干狩り、温泉、競馬場、一大歓楽地とはどんな感じだったのだろう。
芸者が三味線をかき鳴らしていたという参道沿いの店、
漁業で栄えたばかりではなく、海苔でも有名だったという羽田。
地元に残る手焼き煎餅屋さん曰く、
「煎餅は天日干し、海苔と同じだった」とのこと。
なるほど、海苔も当然お天道様の恵のもと、自然乾燥だったはず。


赤く塗られた大きな稲荷橋の向こうは羽田空港
何故この道路が、かつて参道だったはずの道がぶった切られているか。
関係者以外立ち入り禁止の空港にぶち当たっているのだろうか。
知らなかった、日本の敗戦の歴史の彼方に消えてしまった、
かつての羽田の賑わい。


マッカーサーのもと、空港拡張の為に48時間以内の強制退去で住民は追い出され、
神社までもが移転せざるを得なかったとは。
敗戦国の人間ばかりでなく神様も強制退去の憂き目を見て、
土地神としては情けない思いで一杯だったろうと察して余りある。
この短時間に持ち出せるものは限られていただろう。


移転先の神社で当時のことを知る人が、誰が住んでいたか残そうと、
かつて寄り集まって作ったという地図を広げていた。
今風でない古めかしい氏名が沢山書き入れられた地図、
かつて空港だったところにあったはずの庶民の生活。
さて、そうやって自分の生まれ育った場所、かつての思い出の土地を、
その土地の歴史一切合財を、戦後の歴史と空港に接収された人の思い。
「ならば、世界一の空港になってくれ」という言葉には泣けた。


羽田。羽田。羽田にそんな歴史があるとは。
興味のある方は再放送をご覧下さい。
27日、午前11時からBS2で。

超雑学読んだら話したくなる江戸・東京の歴史と地理 (超雑学 読んだら話したくなる)

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羽田空港 (日本のエアポート01)

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この地図の持ち主の本籍地、戸籍は羽田一丁目一番地、
空港が出来る前からここに住んでいたのから、本籍を動かすつもりはないという。
自分のルーツを残しておきたいというその気持ち、分からんでもない。
自分の両親が年老いてもなお、宮城県人であることを忘れずに生きているように。
人生の初期を過ごした生まれ育った土地を本籍地としてよすがにしている、
そのことに対して私は口を挟めないし、挟もうとも思わない。
二重国籍ほど大げさなものではないけれど、
生粋の関西人として生きられない自分のルーツは、
この両親の思いから受け継いだものだから。


今、羽田は再び国際空港として脚光を浴びている。
私の心の中には元々国際空港の記憶はあるものの、
しかしながら実際に利用した時は国内線乗り継ぎ場、
国際線としては成田のイメージが強い。
しかし、これからは空のイメージを持つ「羽田」が
従来にも増して活躍することになるのだろう。


羽田と言えば、空港。空港と言えば羽田、
そして伊丹だった私の頭の中。
実際に生まれて初めて渡航するとき利用したのは伊丹と成田。
伊丹は大阪空港といいながら兵庫県にあり、
成田はニュースで見た建設反対のイメージがまとわり付いていて、
その後も何度も利用したのに、妙に気後れする場所。


実際、電車でぐるりと成田周辺を回ったことがあるが、
なるほど田舎でのんびりした日本の昔の姿を残していて、
空港が出来る前の成田は・・・と偲ばれた。
その私も、羽田のそれ以前のことなど思い及ぶこともなく、
海辺を埋め立てて空港ぐらいにしか思っていなかった。
羽田の周辺の昔からの土地の歴史について今回初めて知り、
戦後の歴史を改めて突きつけられたようで少々ショックだった。


古地図の向こうだけではなく、手を伸ばせば届きそうな父祖の時代、
先代の生活の中に、今は忘れられてしまった、今にも消えそうな、
時代や歴史の顔が覗いている。歩く道すがら、かつての生活の名残が、
ひそやかに佇むものが、取り残されたものが、消えてしまったものが、
ふと現れる瞬間、その町そのものとの触れ合いが人との触れ合いになる、
ブラタモリ、この時間、好きだなあ。

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