Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

髪も話も日常も

娘を連れて髪を切りにいった。彼女の髪は腰近くまで伸び、
結構傷んできた。水泳の日の夜、洗うのをめんどくさがり、
塩素で傷んで来た部分を切って、すいてもらい、セミロングに。
髪の毛はあっという間に短くさっぱりとなっていくが、
昨夜のナカノシマ大学は、すっきりさっぱりしなかったなあと、
あれこれ思い出してしまう。


久々に娘と元カルフールで買い物。あれこれと見ていると、
どんどん欲しいものが多くなっていけない。
空腹時にに買い物などするといけない。
値下げ品が何でもかんでも欲しくなる。
節約、切り捨て、それこそ切り詰めなくては。
そんなことを思いながらも、愚痴は長くなる。
痛みは軽快しているというのに。
本日は、昨夜の愚痴です。日常生活のたわいもない愚痴。
けれども、一度引きずり出すとながーい愚痴。

脳に悪い7つの習慣 (幻冬舎新書 は 5-1)

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聞き屋与平―江戸夜咄草 (集英社文庫)

聞き屋与平―江戸夜咄草 (集英社文庫)


昨夜腰痛が軽快した帰り、元々予定していた「ナカノシマ大学」講座、
大阪倶楽部の夜を楽しみにしていたのだが、勝手が違った。
自分の体調のせいもあったかもしれないが、
面白い話を聞くつもりが、何故かしっくり来ない、
自分としては妙な所に引っかかり、苛立つ内容になってしまった。


仕事を終えた家人と共に、その道の先生の話を聞くには聞いたのだが、しょっぱなから「自分は扱いにくいわがままな人間」、
「司会の方が私をどのように料理するかお手並みは意見」、
「好きなことを好きなだけ喋らせて頂く」というような前置きがあり、
少々気分を害してしまった。普段なら笑って許せるようなこの前置きも、
話者が聞き手の司会よりも年配、掌の上で転がされたくない、
気に喰わない合いの手は入れられたくないという牽制であり、
お金を払って聞きに来ている聴衆に対して、それでも良ければ聞けばいいよという、
上から目線の傲慢な物言いに感じられた。


学者の常として、専門のことについてはこだわりたいという思いと、
このラインだけは譲れないというような思いがあるのだろうが、
何だかすっきりしない幕開けとなった。
パワーポイントも資料も、笑わせようと工夫しているツボも、
それないの努力の後が分かる内容ではあるのに、
付いてこれるのなら聞き取ってごらん的な、
今日はどこまでどれだけ話すのか、きちんとした到達点を設けず、
単なる雑談で、時間内しゃべるだけしゃべってみました的な、
そういう話法は学生相手の小人数のゼミでは通用するのかもしれないが、
曲がりなりにもお金を払って聞きに来ている聴衆に対しては、
やや契約不履行的な、ビジネスであれば許されない、
「これを商品として売るのですか」レベルのナカノシマ大学となった。

日本社会における仏と神

日本社会における仏と神


ありていに言えば、知的好奇心を満足させる以前の問題。
民俗学・神話・伝説、歴史関係が好きな上代中古文学専攻の人間、
今宵はナカノシマ大学御用達の感がある大阪倶楽部で、
どんな話が聞けるのか、ワクワクしながらやって来たのだが、
どうやら講師の先生は少しばかりつむじが曲がっていらっしゃるらしい。
みんなが聞こうとしているのに大きく外したり、肝心なところを飛ばしたり、
要はコンパクトに今日の目的を絞って話をする気がないらしい。
とりあえず、今日はこれとこれに関してざっと話をしますという気も無いらしい。
足の向くまま気の向くままの流れ者の旅のように、
話の方向を聴衆の反応を見て決めようとしていたのかどうかは別として、
その話術は大勢を相手に出来る内容ではなかったですね、そんな感じ。


なので、せっかくのパワーポイントのプリントアウトもなく、
話はどこに落ち着くのか、コメンティーター兼司会の方も、
「なかなか難しい方と聞いていましたが、さすがですね」と
皮肉とも御世辞とも取れる微妙な合の手を入れている。
やれやれ。これじゃあ、大阪市内まで出向いてきた意味が無いよ、
交通費も掛けているっていうのにさ。
仕事の疲れとほぐれた腰痛と、部屋の暖かさが眠気を誘う。
それ以前に、この先生の話の内容は「損」をしていると思う。
毒のある話術やユーモアが、話に引き込んでいく力よりも、
話から逸らしていく力の方が大きいなんて、本当に損。

日本人と神たち仏たち

日本人と神たち仏たち

多分この講師の先生はそういうことは何も考えていないか、
俺の話し方はこうなんだよと開き直っているのかも。
「聞きに来る人の勝手でしょ」で相手を見ているのであって、
話の最初「寒い所ようこそ」というねぎらいの前置きをするならば、
それにふさわしい話し方をしてほしかった。
単なる心のこもらない社交辞令、挨拶だったのかと思うと虚しい。


「話の内容は講師の勝手でしょ」という感じで時間配分も無視。
どこまでどんな風に話すか、練られたくないわけね。
結局眠くなってしまうくらい。こんな時の為のICコーダー。
途中面白い箇所も幾つかあったのに、冗長散漫な流れで
いい加減な所でに終わってしまい、今日のポイントは何だったのか。きっとこの手のタイプの先生は、「聞き手のレベルに合わせた」だの、
「どんな人が来るかわからないから、ある程度の所で済ませておいた」と、お茶を濁すんだろう。


持ち時間の決まっており、専門的な質問の飛んでくる正式の学会だったらありえないだろうけれど、
素人相手の会だからこういう持って行き方をするのだろうか、
大いに不満だった昨夜。
聞き手と司会を兼ねている釈先生の講義というか講演の方が(1度しか聞いた事はないが)
単位時間内の情報量が足を運んだだけのことはある、
きちんとしたレジメと展開で納得できるものだった。
初めて聞く分野の内容にも、十分満足して帰った雨の日。
寒い寒い会場には不満だったが、講演内容には大満足だった。
講師によって凸凹の差が激し過ぎるナカノシマ大学の内容に、
自分が主催者だったらハラハラしてしまうよねと、
他人事ながら思ってしまう負けず劣らず傲慢な気分だった昨夜の私。ぎっくり腰をソフトカイロで整体してもらい、
この話を聞きたいがために夕方に備えて来たのに・・・。
「大阪の神さん仏さん」がテーマだったけれど、神も仏も無いものか。

神も仏もありませぬ

神も仏もありませぬ


知らない人間、わかっていない人間にも興味を持ってもらえるように、
わかりやすくは為すのがプロだと思うのだが、そういう意識はないのだろう。
「学術用語、専門用語を使うのがいやでねえ」と
話の合間に挟むのならば、それはそれで構わない。
どういう内容に持って行きたいのか、具体的に説明した上で
これは○○と普通いうのですが、△△と解釈してもらっていいわけですと言えばいいまで。
適当にすっ飛ばして、曖昧にして、自分に興味のある所だけ
ほんの少し小出しに詳しく。聴衆との距離感が取れていないなあ。
仕事ではなく、こういう講演はアルバイトだと思っているからそうできるのかね?


前回のサントリーのウィスキー講座のように、
プレゼン一つが企業のイメージを左右するという真剣さを伴わないから、だらだら話が出来るのか。
今までナカノシマ大学の私が参加した回の学者先生は、
専門家としてのイメージを下げる人が多い。
相手にわかるように伝える気持ちは少なくて、
自分の好きなように喋らせて貰えるのならば、話してもいいという姿勢が強過ぎる。
そんなふうに感じてしまうのは私だけ? 


だから、お金を取らないプライベートな会でのしゃべくりならば批判はしない。
でも、そうじゃない。だから、腹が立つのだ。
つまらない冗談、聞きたくも無い。
まとめて短く話せないのは、今日何を話すか自分にきちんと落とし込めていないから。
仕事じゃないと思って来ているから。
聴衆をその程度にしか受け止めていないから。


・・・おーい、私、愚痴のスパイラルから抜け出せよー。
今日の私は昨日から何かしら傷ついて傷んだところを、
うまく処理できないまま引きずっている・・・。
手短かに出来ないって、そういうことだな・・・。

神と仏の間 (講談社学術文庫)

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