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老父帰阪

 
老父、伯母の葬儀を終え田舎より戻る。
父にとって、たった一人この世に残っていた姉。
これで父の兄姉は全て鬼籍に入ってしまった。
産めよ増やせよ」の時代に生まれた父。
それにしても16人きょうだいの末子ともなると、
上とはかなり年が離れている。
一番上の長姉とは20年以上離れている。
次姉であった伯母とは20年あるかないか。
双方年老いて、様々なやりとりの中、
色々覚悟していたとはいえ・・・。


もはや、系図があっても親戚関係が覚えられない。
名前だけ聞いて実際に会ったことのない人、
幼い頃会っただけで、覚えていない人、
全く付き合いがない人がどんどん増えていく。
親戚だと言っても本当に知らない人が多いので、
父が大切にしている家系図も、見知らぬ花畑、広大な裾野、
申し訳ないがきっとお付き合いのないまま終わる、
代替わりとはそういうものと割り切ってきたものの・・・、
やはりこの先のことを考えると、あれこれ思い悩む。


老父が田舎に趣く理由はどんどん少なくなる。
冠婚葬祭以外に、同窓会程度。
そして、老父に何かあったとしても、
田舎から遙々来てくれる人などあるだろうか、
代替わりした若い人たちが。
私より年配者ならともかく、年少者であれば。


泊めてくれる親戚もない、都会の田舎、田舎の都会のこの地、
そんな不便な所に、故郷から客を出迎える部屋もないこの家、
ここに誰が訪れるというのだろうか。
そんなことを考えると、誠に憂鬱になってしまった。
先様は弔問客を迎え、送り出してこれからが内輪の時間。
そんなことも考えられるようになってきた年齢。
考えてしまう年齢。


私がまだ大学生だった30年以上前の祖父の葬儀の時には、
皆が寄り集まって野辺送りの飾り物を作った。
いつの間にやら大勢の人が集まり、
鳴り物入りで墓地まで葬儀の列が続いた。
幼稚園の頃の曾祖父の葬儀に続き、土葬を見た最後だった。
葬儀に関する一連の祭りのような騒動、人の出入り、手配、喧噪。
祖父の死を悼んで嘆く祖母以外の人間が走り回っている、
そんな感じだった。


なのに、10年以上前の祖母の葬儀の時には、
近所の人が集まるような雰囲気がなかった。
葬列も野辺送りも飾り花もない。
親族だけが小さな列を作って近所のお寺さんへ向かう。
マイクロバスが来て、それから火葬場へ行き、最後のお別れをして、
お骨を拾う時間を待ち、家に戻り食事をして終わった。
近所の人の姿はなく親族だけ、そういう世界に変わっていた。


故人と直接のお付き合いがあった者、
伝統を知る者は先に逝ってしまい、人が集まらないのだと
改めて分かるまでには時間が掛かった。
ましてや幼児の娘を連れての葬儀参列は気詰まりだった。
最後のお別れをするのに、場違いであるかのように、
妙に肩身が狭かったが、惣領孫の娘なのだ。
是非とも参列させたかった。


近代化したお付き合いの中、
簡素化された葬儀は、身内だけのものになり、
それさえも仕事や家庭がある若い世代は顔を出せず、
欠礼の手続きで終わってしまう。
そして、冠婚葬祭のお付き合いそのものに疲弊している、
そんな田舎のお付き合いの中では、
欠礼が非礼ではなく、却って有り難いものであったりする。


故郷から出ていった2代目3代目にはもはや、
近所づきあいよりも希薄になった縁を結び直す力はなく。
もはや年下の者さえ見送るようになってきた老父の、
土産物「ずんだ餅」を頂くのも申し訳なく、
ゆっくり湯に浸かって休んで欲しいと願うばかり。
田舎は良心の故郷であっても、もはや私の故郷ではなく、
思い出の場所でしかない。


その当たり前のことに、うちひしがれることはなけれど、
心寂しく。

家族葬のつくり方―52の心に残るお見送り

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