Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

友人の父上が亡くなられた

癌だった。もう病みついてどれぐらいであられたか。
長女である友人は、度重なる転勤にもめげず母上を助け
何とか地元の支店に戻り、貴重な平日の休日を
父上の通院の送り迎えにあてていた。
家庭を持つ弟妹に負担をかけさせまいと、
一人背負い込むような形で嫁がず、
仕事と介護に明け暮れていた。

大学時代の仲間と、明日、お悔やみに行く予定だった。
私にではなく、世話役の友人に、遠慮して欲しいとの連絡。
まあ、私が一番遠方なのは確かで、
幼い娘と病人を抱えて引越ししたばかりで、
時間的なゆとりがないことを見越してのことだろうが、
週末、仕事休みの日は時間も取れるし作れるゾ。
家人の食事の段取りも済ませ、何とか顔を出しておきたいと
準備していた矢先の「今回私は遠慮して欲しい」との連絡。
ちょっと、めげた。


今頃、夜中になってから、この連絡、ではなあ。
肩透かしを食らった気分。ごまめになった気分。
私に直接連絡が来るのであれば、そうかと単純に思えるのに、
間接的に伝えられたということで、
妙に浮き上がってくる疎外感をどうしたものか。
物事をいいように考えようではないが、
ちょっとした認知の歪みで、必要以上に落ち込んだり
拗ねたりしてしまう自分。
素直に、「相手軸」で動けない自分が情けない。


悲しくも気ぜわしく、一連の諸事に疲労困憊の
最も気遣われなくてはいけない友人とその家族が
静かにすごしたい初七日だから、遠慮させて頂いたのだと
考えれば済むことなのだ。「友情」をでしゃばらせることはない。


「自分軸」ではなく、「相手軸」で気遣うこと。
カウンセリグ場面でなくても、日常生活でも難しい。

喪の時を刻む

喪の時を刻む

 
悲しみを超えて―愛する人の死から立ち直るために

悲しみを超えて―愛する人の死から立ち直るために