Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

Compliance、Adherence、Concordance、

         intolerance,…いと耐えがたきこと
 

教育の世界で、断固とした指導力
強制と混同されて誤解されることがあるが、
まあ、生徒指導で様々な問題点があるとしても
学校での喫煙が即本人の健康管理の責任を問われて、
生活指導が延々と続くということは無い。
喫煙に限らず、反社会的な行動以外の何物でもない
異常な事態が出現することもある。
教師に命(心身)の危険があっても、児童・生徒中心の
聖職の碑を最も尊しとされると、虚像でしかない場合も多々。

インストラクショナルデザイン―教師のためのルールブック

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パフォーマンス・マネジメント―問題解決のための行動分析学

パフォーマンス・マネジメント―問題解決のための行動分析学


生徒指導は、浜の真砂は尽きるとも無しの世界。
シーシュポスの神話だ。現場は徒労に耐えることを要求される。
現場は燃え尽き症候群の屍が累々としている。
しかし、心身の脆弱性が問われるのは教師の側で
ストレスコーピングを強いられるのも、教師の側だ。


生徒は患者ではない。従って、この場合Complianceはない状態。
しかし、駄目なものは駄目だと言うと頑固者呼ばわり。
理性や理解・納得に導く以前のものが、欠けている。
そこで持ち出される良好な関係性。Adherence。
しかし、保護者を含め、全く拘束力の無い状態では、お手上げ。
教師はSWでも、MSWでもないので、できることは限られている。
Concordance、あ、そう。嫌だって言いたい訳よね。
それは権利だからって。でも、義務は嫌なんだし。


でも、生徒指導の場合、生死に関わる重大な決断場面とか、
存在しないわけ、わかる? ある意味、学校をサボって
バイクに乗って、交通事故で亡くなっても、
学校には責任は来ません。当然です。


でも、私は教師でもないし、あなたは生徒でもない。
私は医者でもないし、あなたは私の患者でもない。
でも、健康管理に責任が取れない人を、許容し続けるほど
寛容な人間ではないの。
ストレスコーピングのせいにして、ずるして、
何でも「黙っていてごめんね」を言われて
許せるほど寛容な人間ではないの。


あなたは、自分の人生にも、家族の未来にも、
責任を持たなければならないということを、すぐに忘れる。
小さな子供が楽しく遊んだ後、ベッドに入りたがらないように。
でも、それは「駄目」なの。
お薬を飲んでいるから、後は何をしてもいいではないの。
学校に来ているから、授業中は何をしてもいいではないの。
ここは学校ではありません。停学指導は無い。
病院の中でもない。強制収容は無い。
だから、家庭の中には家族の命(運)を守るための、
断固としたルールがある。


私が何を言いたいかって?
あなたが許せないことをしたということ。
耐え難き、いと耐え難き事は、多々あれど。
私を家の中で、教師や医者や警察官や裁判官にさせないで。

ゆるすということ―もう、過去にはとらわれない

ゆるすということ―もう、過去にはとらわれない