Festina Lente2

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家族の時間、家族のカレンダー

あれから、1年経ったね。保育園の運動会だった。
あれから、ちょうど1年経ったね。救急車で運ばれて、
重症者の病棟に、収容されたのは、さ。
あの日から、私の心の中は、随分変わってしまったよ、昔と。
1年前、それ以上はもう、ずっとずっと昔でしかなくなってしまった。


人は、どれだけ自分の時間を持って生きるのだろう。
人は、どれだけ大切な時間を持って生きるのだろう。
人は、どれだけ、家族と過ごす時間を持って生きるのだろう。
人は、どれだけ自分のための時間を生きるのだろう。
人は、どれだけ家族のための時間を生きるのだろう。
私には、わからない。
人は、どんな時計を持って、どんなカレンダーをめくっているのか。


倒れてしまうまで、たくさんの病院、たくさんのクリニック、
たくさんの検査をしていたのに、結局倒れてしまうまで、何もできない。
検査だらけの毎日が、病院の中で始まっても、何もわからない。
そんな日々から1年経ったね。
あの頃私は何も知らずに、検査をすれば原因がつかめて、
病気は治るものだと思っていたから、時計の音は聞こえなかったけれど。


救急室で、読影し、検査結果を見ている先生が言った。
「大学で講義するように、説明する時間はないし、できない。」
病室で、別の先生が言った。
「ここでは大学病院と同じようなことはできない。
 できる検査は限られている。」
そして、転院するまで主治医の顔を見たのは、10日間で3回。


それが、何を意味していることなのか、全然わからなかった。
時計が砂時計になってしまったのは、きっとそれからなのだろう。
だから、1年経っても、お風呂から出られなくなった、今日。
浴槽の中で、夢を見る。
何種類ものカレンダーを抱えている、自分の夢を。
未来に向かって直線ではない、螺旋階段を、荷物一杯で上がる。


家族の時間は、いつ始まったのか。
結婚した時? 子供が生まれた時? 病気がわかった時?
家族の時間カルテは、そんなふうに書き換えられていったのか?
家族のカレンダーは、日めくりだけになってしまったのか?
そんなはずはない、そんなことはないと、思いたいのは私だけ?


「春も、夏も、秋も、冬も」・・・全てが特別な時間、
                特別な季節だということを
何故、気づかずに今まで生きてきたのだろう?
あれから1年経った。そう、数えてはいけないのだと、何かが言う。
まだ1年、もう1年、そしてこれから何年?
家族の時間、家族のカレンダー、砂時計をひっくり返そう。
すばやく、静かに、明日のために。
これからの1年のために。