Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

主治医を見出すということ

服薬も5日目に入ると、さすがに効果も抜群? 
で、痛みが気にならない。
この程度の「痛み」が生活の通奏低音だと、
心理的にも負担は少ない。
「痛み」が、どのパートでも共通のメロディを奏でるとなると、
さすがに増幅されたフルオーケストラに、耐える自信が無い。
そこまで「痛み」を我慢することは、今後、無いだろう。
何しろ、「羹に懲りて膾を吹く日々」なのだ。


でも、何に一番安心したかというと、
痛みが単なる気のせい、思い込みではなかったこと。
金曜日に予約を変更してまでも、
診察してもらいたい程の痛みを覚えたことに、
そんな自分自身に、苛立ちややり切れなさ、
自分の弱さに不安を感じていたけれど、それが
単なる「気のせい」ではなかったことに、安心している。


月曜日、主治医は金曜日のT先生のカルテを一緒に見ながら
「痛みが落ち着いて来ている」ことに、ほっとしてくれたし、
事実、もう「検査数値上は」と「主観に対しては、わからない」を
繰り返すことは無かった。(それとも根負けした? 諦めた?)


「痛み」のケアに対して、退院直後より前向き、だった。
抗生剤の継続使用に関しては、難色を示した。
当然だろうね。どんなに弱いものでも、安易に使うものじゃない。
5日間で切って、様子を見る。当然のこと・・・。
入院中、点滴から服薬に切り替えた際、この抗生剤では弱いと
漏らしていた位だしね。きっと心の中には別の考えがあったんでしょ?


「痛み」に関しては、今まで一度も口にしなかったことを、
説明したね。私が何も訊かなかったというのに・・・
そう、この日、この晩、
私は仕事上の自分の仮面を少し借りてきた感じ。
私からは、何も訊かない。


―――10個以上あった憩室の一つは、炎症を起こしかけている
不穏な状態が認められたが、症状として、即「痛み」が出るとは
限らないものだから、検査直後には伝えなかった――― のだと。
直接、その画像の提示は無かったけれど、
(本当は見せて欲しかったのだけれど)
主治医から、その「言葉」を伝えられた時点で、
自分自身を含め、様々なものに対して抱かざるを得なかった
不信と不安、或いは不満は、ある意味ある程度まで、
解消されたと言っていい。


この内容を直接聞けたことで、(主治医が口にしたことで)
「痛み」が、単なる主観の問題で葬り去られなかった時点で、
自分の感覚に対する確かさ、手応えを信じられたことで、安心した。
単なる「気のせいだ」と思われる事が、一番堪える。
自分が拒絶され、疑われているみたいで、ね。


ドクター、痛くないのに、娘を親に預けてまで職場から直行して
病院になんか、わざわざ来ない。私はそこまで暇じゃないし、
無闇に痛み止めを飲むほど、服薬に頼る生活をしたことはない。
単に、薬だけもらうため、だけにね、わざわざ。
「痛くなったら、すぐにおいで」と言うけれど、
退院後も「痛みが思うように取れない」ことは
ずっと、伝えていたはず。


まあ、確かに、逆の立場だったら、検査後の患者の不安を
下手に煽るようなことは、私だって言わないだろう。
確実に、実際に、痛みが出るかどうかは断定できないしね。
かえって情報から予期不安を与える事が、余計に痛みを
引き起こす可能性も、無きにしも非ず・・・だし。


でも、ドクターの配慮は「裏目」に出たわけ・・・だよね。
ニフレック飲用後、心身に負担がかかっていたせいもあって、
(検査のために仕事を休むのは、実際大変だったんだ)
体調が下降線だった分、金曜日にプッツン来た、わけだ。
(そんな感じで)納得できれば、安心できる。
納得できなければ、不安が募る。それだけのこと。


昨夜の先生は、今までとは随分違った。
それまでは質問しても、極力、短く答える主義?
わかり易くというよりも、「私にとっては」
それでは、よくわからない「簡単すぎる答」って感じだった。
何があったんだろうね。どうして変わったんだろうね?


正直「小難しい奴だなあ」とうんざりしていた? 
それとも、単に、いつもよりも、時間があった?
今までになく、随分先生は話してくれた、と思う。
もっとも、私が殆ど何も言わずに、
座り続けていたせいかも・・・しれないけれど。
「鸚鵡返し」を、少し試してみただけだったのだけれど。


「少しでも、痛くて変だと思ったらすぐに来るように」か。
そう・・・。熱発、吐き気、背中から鼠径部まで響くような、
差し込むような痛み、反跳圧痛が出るまで我慢することなんて、
これからは、ありえないだろう。たとえ出張先だろうが我慢しない。
そこまで行ってしまうと、1度目の入院時よりも治るのに
時間がかかると先生は言った。
私自身も、どの程度の痛みから上が、かなり「ヤバイ」のか、
何となくわかっってきた、気がする。


それよりも、やっと先生は「病気」じゃなくて、
「病気になって不安な私」を診てくれたね。
専門家として、これ以上言えることは無いから、
専門家の言葉を信じろと、先生が言った時には、
ちょっと心の中で笑っちゃった。ごめん。
でも「痛みに過敏になっている私の不安」に対して、
やっと、焦点を当てて話してくれたね。
だから、「気にし過ぎると、別の病気を招く」とはっきり言った。
初めて経験する痛みが、どれだけ私から「私」を喪失させたか、
痛みの継続や再発が、私自身を消耗させたか、
やっと、わかってくれた感じの発言に、聞こえたよ。


昔、就職してすぐに十二指腸潰瘍を繰り返していた頃
それから脱却して、10年以上も経っていると安心していた今、
別の病気に罹ってしまったことの方が、不安の焦点なんだけれどね。
でも、まあ、「不満ではなくて、不安」とう言葉を、私からではなく
先生の口から先に聞けたのは・・・私にとっては良かったかな。
無理に説得するのでもなく、ポンと言い置くのでもなく、
単なる説明で終わらず、「主治医と患者」の会話の形だったね。
ここまで来るのに、1ヶ月か・・・。長かったなあ。


無口な上に、触れもしないで、データばかり見ている先生を
「診てくれる人」と思えるまでに、時間がかかった。
でも、「診てくれる人」がいると思う事ができれば、
私は、素人の浅薄で生半可で不必要な情報を抱え込んで、
生活しなくて済む。・・・ふう。
だから・・・。

ポーの話

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