Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

思い出の体温

木枯らしが吹いています。もう、何て言っていいか、
嵐か?みたいな木枯らし。
外は、連休中のお天気が嘘だったような、猛烈な砂嵐状態。
お日様は出ているものの真冬の空模様で、
先週まで半袖に上着1枚で生活できたのは
何だったの状態。いやあ、連休中に衣替えしておいて良かった。
本日の最高気温は昨日の最低気温。なんてこったい。
こんな日は、あったかい、ほのぼの出来事を拾おう。


そう、木枯らし1号が吹いた今日。娘は遠足です。
秋探しにお弁当持って、一駅向こうの大きな公園まで
歩いていったはずなのですが、どうなったことやら。
「私は班長さんなの」と、張り切っていた昨夜でしたが・・・。
今日は、あったかいクリームチューでも作ってあげようかなあ。
心は、今夜の夕食のメニュー。昨日、ちょっと贅沢して
おいしいパン屋さんに寄ってきたんだよね。
それに合う「ほかほかメニュー」を考えよう。


本日のお弁当はハンバーグ・えびグラタン・かにシューマイ・
きゅうり・トマト・チーズ、梅干ご飯と、パエリャの2色ご飯
(パプリカ・ムール貝・かしわ)、あったかい麦茶。
庭の蜜柑と乳酸菌飲料。盛り沢山のようですが、
ほんの少しずつ詰めます。忙しい朝は冷凍食品様々。
ドラえもんのお弁当箱。おやつ少々。
ちなみに、「おかあさん、お弁当作ってね」と朝起こしてもらいました。
ごめんよ、朝が弱いママで。
(というか、夜明けまで起きてるのが駄目なんだけど)


昨夜、図鑑を広げて虫のコーナーを眺めていた娘。
かなり拡大された昆虫の図が、部分ごとに切り離されて、
解説されていた。いわゆる子供用の図鑑。
突然、「お母さん、この虫、こんな風にばらばらにされてかわいそう。」
「ん?」「この図鑑に載るからって、ばらばらにされちゃっているんだよ。
 有名になるって痛くて辛いねえ・・・」「うーん」
ちょっと、リアクションに悩む。絵が本物ではないとわかっているのに、
しみじみと「本に載るほど有名になるって、痛くて辛い」という
娘のコメントに、私自身が、「うっ」と立ち止まってしまった。
でも、おませな娘の時折見せる、子供らしい、かわいい優しい発言に、
何となく嬉しくなってしまう私が居る。


昨夜、娘を寝かしつけた後、IP電話で家人と話しながら、
それぞれNHKスペシャルの「ラストメッセージ湯川秀樹」を観ていた。
「パグウオッシュ会議が・・・」と、薀蓄を語る家人。
私の不得手な部分をカバーして、色々語ってくれる分について、
それを聞くのは、学生時代に戻ったみたいで楽しい。
・・・突然、「僕、この先生に習ったよ」「ん? 誰々?」
湯川秀樹アインシュタイン以外に、全然知らない爺様ばかりが
映っているというのに。
「りこーさんだ、りこーさんだ、老けたなあ・・・」???


画面に映っていたのは、物理学者、豊田利幸という御仁だった。
どうやら、大学の教養の時に習ったらしい。ふーん。
大学でも物理を取っていたのか、この人は・・・。初めて知ったよ。
家人は理科系から転向して文系に移った、ちょいと変わり者である。
(ちなみに、私の教養は生物と化学)で、また、思い出話。
仕事の関係で、なかなか一緒に暮らせないが、
こういう時間をほんの少し持てると、私はとてもくつろげる。

一昨日、家人を駅まで車で送る途中、図書館で借りた懐かしいCDを
何気なしにかけた。特にファンではなかったけれど、
若い頃の音楽に浸りたい時が増えてきたのだ。
その瞬間、まだ曲も始まっていないイントロ、ライブのオープニングの
ざわめきを聴いて、「YMOだな、懐かしいなあ」と反応する家人。
「え、これだけでわかるの?」
「高校時代、NHKがライブの中継したやつだ。エアチェックした覚えがある」云々。
彼は彼なりの思い出に浸っているようだ。
PROPAGANDA 東風 それらの有名なメロディラインを聴くまでもなく、
即座に反応してくれたことが、何となく嬉しくて、心が和んだ。


遅くに出逢った私達は、共に過ごした10代20代を持たない。
ほんのちょっとした学生時代の思い出、呟きが好ましく思える時、
今の時間を共有して、何となくほのぼのとする。
音楽は重要なアイテムだ。クラッシック然り、ロック然り、BGMは。
歳の差で、聴いた音楽馴染んだ音楽にズレはあるものの、
この歳まで生きてくると、プログレ末期世代の私と、その後の家人とでは
目くじらを立てるような際立った好みの差は、ない。
こと、音楽に関しての様々な薀蓄は、放送部出身の家人にお任せ。


「頼れる」というのは、お金や地位や知識だけの問題ではない。
ほんの少しの間共有できる時間、思い出、
その隙間を埋めてくれる音楽、BGM、
心の体温に寄り添ってくれる人の存在が、実感できる幸せだ。
木枯らしが吹き荒れる日、暖かさを思い出させてくれる人がいて、
どうしているかなと、案じる家族が居て、一日を過ごす。
仕事の合間に、ささやかな会話と笑顔を思い出す。