Festina Lente2

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「ラスト・メッセージ」の3日間

NHKスペシャルを3日間観た。
「ラスト・メッセージ」という内容だったはずなのに
奇しくもテーマの中に共通のキーワードとして
「いのち」と同時に伝えられたのは、「戦争」だった。
これは、単純な私にとっては少しばかり予想外だったが、
よくよく考えてみれば、「戦争」が食い込んできてもおかしくなかった。
むしろ平和ボケしている、戦争を知らない世代に対して、
3日間とも共通の隠しテーマとして、
計画的に編集された内容かもしれなかった。


1日目。手塚治虫。彼の人生を変えた出来事。第2次世界大戦。
学徒動員と大阪の空襲。その人生を貫いた衝撃・戦争体験が、
自伝的な作品「紙の砦」を始め、「アドルフに告ぐ」などに
リアルに描かれている。
当然、様々な形で「戦い・争い・諍い」は
「いのち」の問題と密接な関わりを持つ。
科学の発展が戦争無くしてありえなかったように、医学もまた。


自然と人間、ロボットと人間、動物と人間、人間と人間、国と国、
文化と文化、全てが乗り越えられない壁を持ち、
お互いの存在を脅かす可能性を持ち、
「いのちのやり取り」に発展する。
未来を、いのちを、こどもを、守り育てる眼差し。
未来を夢見て創造し続ける、希望を持ち続ける。
久しぶりに聞く、手塚治虫の声、声、声・・・。
彼の最後の講演を聞いた小学生は、今年30歳。
(私が歳を取るはずだよ・・・)


2日目。物理学者、湯川秀樹
科学の力が戦争に使われる悲劇を目の当たりにして、
核に対する危機感を強めていく過程、その苦悩。
原子力が日本に落とされる原子爆弾になり、
核兵器の開発戦争になり、核の抑止力でもって
世界平和を保とうをする。科学と政治の馴れ合い、欺瞞と詭弁。
その有様に真っ向から反対し、疲弊していく彼の姿。
学者が学問とは別の世界で悪戦苦闘している。
しかし、その彼の姿は、私からは遠かった。


3日目。映画監督、木下恵介
彼もまた、戦争を背景に映画を作った。
今回取り上げられていた「二十四の瞳」「この子を残して」は、
いずれも「弱き者、庶民の立場」から見た「戦争」であり、
それに翻弄される「いのち」だった。


今はもう、過去の人として語られる事が多い映画監督、木下恵介
今はもう、日本で最初のノーベル賞受賞者としてのみ知られている、
湯川秀樹。二人の姿は、私からは遠かった。いのちの重みよりも、
戦争を背景にしなければ、「いのち」の重みは語れないのかという、
そんな気持ちにさせられた。
ラストメッセージ」に意図的に隠された編集は
少々偏りがあったのかもしれない。私の受け取り方の問題か・・・。


手塚治虫に関しては、
病を押して未来(を生きる子供)の在り方に賭ける、
マンガという手段を通じて、メッセージを発信し続けたリアリティを
受けとめる事ができたが、
あとの二人に関しては、自分から遠い存在だったので、
どうしても、間接的にしか理解する事ができなかった。
まだ、クリント・イーストウッドの映画作品の方が、
私にとっては強いメッセージ性を保っている。
しかし、60代、70代以上になってくると違うのかもしれない。


いずれにせよ、3日分の内容を、
同じ重さで受けとめる事ができなくても、
それはそれで構わないことだろう。扱っている題材が違うのだ。
そんなに落ち込むことはない。と、今、自分に言い聞かせている。
最初から思い入れのある人物に会うのと、そうではない場合との差だ。
そんなに、落ち込むことはない・・・。

目に見えないもの (講談社学術文庫)

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木下恵介の遺言

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