Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

2度目の七五三

家人の住処に近い神社に、3人で「七五三」のお参りに行く。
実は、2度目の七五三である。
去年、家人の入院中が娘の「数え年7歳」だったのだ。
しかし、家人の病状は下手をすれば予断を許さない、と思っていたし、
私自身も、どうしていいのか途方に暮れるというか、かなり煮詰まっていた。
保育園での情報交換で、肩身の狭い思いをさせるわけにはいかないと、
写真館で着物を用意するどころではなく、取るものも取り合えず、
私の仕事場から近い神社に、ちょっとしたお洋服で
お参りとお払いを済ませたのだった。


家人もかなり欝だったので、娘の写真を観たがるどころか、
後顧の憂いになるとでも思ったのか、病状も思わしくなく
不機嫌な毎日で、心浮き立つような「晴れ」の雰囲気からは程遠かった。
むろん、娘にはそんなことは気取られないようにしたものの、
親としては、少々限界に近い気持ちで、神社に車を走らせた
去年の苦い、七五三の記憶が甦る。
そのことを思えば、夢のような毎日だ。
様々な懸念を忘れてしまいたくなる程、寛解は順調で、
むろん、できるだけ長く続いて欲しい。
神様に、お礼参りも必要であろう・・・。


今年は家人の方から、家族揃ってお参りできなかったことを気にしてか、
写真館で着物姿を撮りたい様子だ。(まだ、予約できていないが)
急遽、日曜に参拝と言うことになり、志貴皇子の和歌で有名な
霊水湧き出る神社にお参りすることになった。
昨日の雨と急な冷え込みで、落ち葉夥しい中を、午後から出かけた。
着物でお参りしている子供は誰もいなくて、洋装の子供がちらほら。
地元のフリマに近い、手作りの催し物が境内では行われていて、
時折、小雨がちらつく中、七五三に関係ない人出の方が目立つ。


祝詞で、家人と娘のみ、名前が読み上げられることが気に食わない。
去年の神社の祝詞では両親の名前が読み上げられていたのに、
家人は申込書に私の名を、きちんと記さなかったとのこと。
こういう所が、断固として許せない所だ。
神社にしても、なんで男親の名前だけ記名させるのか?
誰が命の危険を冒して、子供を産んでいるというのだ?
だから、神代の昔からイザナギイザナミで別居することになるのだ。


それでも、子供の健やかな成長を祈る麻の葉模様の座布団の上に
3人で並んですわり、お払いを受け、鈴の音を頭上に聞くと、
今ここで、3人でいられる「幸い」に涙する。


祝詞では「世のため人のために尽くす、国民(くにたみ)」ということに
なっているのだが、7歳にしてそこまで将来を期待されるとは、
なんともはや、意味深である。古来からの祝詞なのか、
明治時代の政策にのっとって作られた祝詞なのか、
深くは問わないが、神の御守り(おんまもり)というものがあるならば、
至らぬ父母(ちちはは)の分を、
      補って余りある庇護を願いたいものである。


ここは、小さいが由緒ある神社だ。山全体が本来御神体だったはず。
清水の湧き出る「霊水」は古来から誉れ高く、地名の由来にもなった。
私は信心深くはないが、信仰というものをないがしろにする気はない。
子供はお地蔵様や、産土神に守ってもらうものだと思っているし、
土地土地の守りを、あだやおろそかにしてはならぬと思っている。


敬虔な仏教徒でもなく、日曜学校に幼い日から通ったからとて
キリスト教信者でもないが、「信ずるものは救われる」謙虚さを好む。
盲信は、意に介さぬ。無論、狂信もご遠慮したい。
しかし、「すがらなければ耐えられぬ」心の内は理解できる。
その切迫した心境を、祈りと共に支えるという事、
それは、経験したものでなければ、わからないだろうが。


風ははや、木枯らし。一気に色づいた木々を眺めながら、
帰途に着く。境内では自然食品や多国籍料理の店。
ちょっとしたバザール。ネパールのカレンダーや毛織物。
青森の昆布や、ヘンプ製品。手作りアクセサリー等々。
不思議な不思議な神社の景色を後にする。