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何故 新聞に何も

今日が何の日かどうして新聞に何も出ていないんだ、と父が呟く。
「あれは、俺が10歳の時だったのに」・・・随分昔の事だと思うけれど。
まあ、気持ちがわからないでもない。
何と言っても、昭和一桁世代なのだ。
12月8日のことが、大きく新聞に取り上げらていないからといって、
朝から機嫌を損じないでくれればいいのだけれど。


この日、日本が戦争に突入していった日。
でも、どんな戦争だったのか、本当のところ、
新聞の書き手も戦後生まれだから、わからない。
歴史上の事実として知っているだけで、実体験でもなければ、
直接見、聞き、知っていて思い入れがある訳ではない。
そういう時代になってしまったのだから、仕方が無い・・・。
などと言って、済ませてはいけないはずの日なのだ。
       

たとえ間接的な知識でさえも、伝えなければならないことがある。
知っておかなければならないことがある。
世界史の履修問題も無関係ではない。自分の住んでいる国の歴史が
どのように世界と関わり、関係を悪化させ、悲劇を招いたのか、
上のものは伝え、下のものは学ぶ必要がある。
「歴史は繰り返す」のだ。全ては因果応報なのだ。
全ては流れ流れて、回る水車(みずぐるま)なのだ。
                


「トラトラトラ」だって、「にいたかやのぼれ」だって、「203高地」だって、
一部の戦争マニアのものになってしまって、いい筈がないのだ。
子供たちは戦争がゲームの世界だと思っている。物語の中だと。
NHK大河ドラマの中に歴史と戦争があると思っている。
朝の連続ドラマの中に、戦争があると思っている。
戦争が、親や祖父母や親戚から直接受け継ぐ、
           記憶の断片ではなくなって来ている。
これは、おかしなことだ。間接的な知識ならともかく、
戦争が、肉親から直接伝わる知識ではない時代になっている、
・・・ということが。


戦争を知らない世代だから、何も知らずに生きていくというのは
虫が良すぎる。戦争を知らない時代に生きているから、
無関心でもいいという訳ではない。
辛いから、知らない振りをする、語らないでおく。
外国の映画監督の作品で、戦争の悲劇を思い知らされるなんて、
ちょっと本末転倒だ。自分の国の歴史の断片なのに。

日米開戦の真実 大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く

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大東亜戦争の真実―東条英機宣誓供述書

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私の父の一番上の兄、とうの昔に故人である伯父は軍人だった。
幸いにも天寿を全うすることができたが、農地改革で没落した本家を支え
総領として大家族を支え、苦労したことだと思う。
その下の兄二人は、出征して戦死した。
その下の姉、伯母は民間人だったのに、乗っていた船が南洋の海で沈んだ。
                  


私の母方の祖父は、出征したが無事に帰ってきた。
私が就職する1年前に病で亡くなってしまったが。
配膳係の時は、1膳しか食べられないから、茶碗に思いっきり
しゃもじで飯を押し付けて、沢山食べられるようにしたと笑っていた。
母は自分で軍服を仕立て直して、女学校のセーラー服を着て行った。
みすぼらしい制服が嫌だったと、今でもぼやく。


父は言う。サツマイモご飯やかぼちゃご飯は見たくないと。
白い米の飯が無かったから、食べられなかったからと。
いまだに我が家では、炊き込みご飯は滅多にしない。
芋とかぼちゃ系の炊き込みは、特に。
勉強なんかしないで、田んぼの草取りと芋作りばかりだったと。


小学校5年の時、家庭科の裁縫の時間に玉結びを習った。
担任の先生は、千人針の作り方を教えてくれた。
家に帰って母に話をしたら、「玉結びの糸は切るもんじゃない、
縁起が悪い」と言って、玉結びと千人針の違いを教えてくれた。
昔、小学校の時の夢は大きくなったら「従軍看護婦」だったと言う。
もんぺで過ごした母の、青春以前の小学校時代。
作文指導はお国のために何ができるか、進路指導は看護婦か・・・。
         

疎開してきた従姉妹と、何かと比較されて嫌な思春期だったと。
居候でも実の娘の子供だから、曾祖母は従姉妹の孫に甘く、
長男の嫁の娘で、内孫なのに、長女の私とは待遇が違ったと。
いまだに恨みがましく思い出を述べる母の、戦争の傷。
直接、間接、生活上、精神上、報われなかった思い。
祖母は祖父の出征中に赤ん坊を失い、いっとき大変だったと。
そういう話は、私自身がかなり大きくなってから聞いたものばかりだ。
              


父は、今でも言っている。後1ヶ月戦争が終わるのが遅かったら、
もう兵舎に入っていたんだ。・・・まだ中学生なのに?
そういう時代だったんだと言う。それが当たり前の時代。
仙台の空襲が、花火のように光って見えて、恐ろしい美しさだったと。
二人して隣村同士の夫婦は、時々思い出したように語る。


就職時、広島出身の同僚が居た。原爆の話を聞いた。彼は言った。
「本当の原爆経験者は表立って話をしないよ。
みんな、隠れてひっそり暮らしている人が、多いんだよ。」
滅多に口を利かない人だったのに、そんなことを言っていたっけ。


3週間前、出張で堺市に出かけたら、ごく普通の商店街の横手に
小さな公園があって石碑が建っていた。明治以来の小学校が、
国民学校となった後、空襲で焼けたことを記録した碑だった。
ここも空襲で大勢の人が焼け出され、川に沢山の人が浮いたのだ。


まだ、探せば街中に見つかる。65年前に戦争が始まったため、
その結果どうなったかということ。
私は、両親に直接語ってもらいたい、孫である私の娘に。
そういう戦争が、始まった日だ。今日は。
真珠湾攻撃という、歴史の一大事件のあった日。
日本にとって忘れてはいけない日、12月8日。

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