Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

言葉を残すということ

毎朝ラジオで10分ぐらい(本当は全部聞きたいのだけれど)
芋たこなんきん」を聞いている。(残念ながらTVで鑑賞する時間は無い)
脚本を書く人も上手いし、もともとが田辺聖子をモデルとしているから
生活に基づいた心に沁みるシーンが、耳からだけでも伝わってくる。
ラジオ番組でも十分に通用する面白さだ。


死にゆく者からの言葉 (文春文庫)

死にゆく者からの言葉 (文春文庫)

戦争で死んでいった従兄弟の大学生が「日本語は美しい」と呟き、
故郷に生きて帰ったら、国語の教師になりたいと話していたシーン。
夢叶わぬ若い命は、あの戦争でどれほど散って行ったことだろうか。
昨日、亡くなった先妻を偲ぶ子ども達に苛立つことなく
(これは理想で普通の家庭では、なかなかできることではないが)
「お母さん、どんなこと言うてはるか、きいてごらん」と仏壇の前へ
子供たちを座らせて、「なんて言うてはった?」と訊くシーン。



子供たちはそれぞれ、自分たちの生母が常々口に出し、
注意してくれていたことを述べ伝える。
幼い子は「おかあちゃん、おやつどこ」(仏壇に尋ねる)
「ご飯前やから、おやつあかんゆうてはる」
別の子は「もうお兄ちゃんなんやから、しっかりしい」と聞き取る。
それぞれが死者から「温かい血の通った言葉」を受け取る場面。


継母である主人公が夫に語る。残念ながら運転中なので、
肝心の台詞を覚えていないのだが、こんな内容のことを言っていたと思う。
「上手に言わはるなあ。ちゃんと生きていた人は
死んだ後まで大事な人に、心に残る言葉を残してはる」
こんなふうに先妻の言葉を受け止めてくれた、目の前の妻に
かもかのおっちゃんである夫が、言葉を掛ける。
「上手に言わはるなあ」・・・うーん、いい夫婦の掛け合いだねえ。
ほろりと来ちゃうよ、というのが昨日の朝の出来事。
          


よく、行動で示せということを聞くけれど、
男は働く後姿を見せていればいい、みたいなことも聞くけれど、
やっぱり「言葉」は大事だと思う。言葉は死なない。言葉は残る。
(だから、反面、恐ろしいので慎重に扱わなければならないのだが)
その言葉を支えに生きていくことができる。言葉は刻まれる。
言葉は反芻され、暖められ、発酵し、人生を豊かにする。
また、その逆も。

父親力検定―子どもと妻が本当に考えていることを知る方法

父親力検定―子どもと妻が本当に考えていることを知る方法


私は、「言葉」に携わりながら生きてきたけれど、
その「言葉」に翻弄されることも、がっくりくることも多い。


なぜ、こんなことを愚痴るのかというと、
戦後教育の中で培われてきたものが、余りにもお粗末だから。
自分自身も戦後生まれだけれど・・・。
教育基本法が改悪されるに当たり、これを書き、作った人間は
日本語を学んでこなかったのかと思うくらい
格調の低い、無残な文章が並んでいるので・・・
これを今後、基本として生活していくくらいなら、
教育の世界は、ますますお先真っ暗だと。
                 


私は親として思う。子供の心を育てる「言葉」を持たない
そういう大人が法律だけを変えて、教育が成り立つと思っている。
心のこもらない、志の無い、自尊心・矜持を持たない
上っ面だけの法の守りなど不要だ。かえって教育の世界を蝕む。
ゆとり教育」などという、耳に快い言葉ばかり現場に導入して、
なんら具体的な方法論も規範も示せず、日本を教育下等国に導いた
未来へのビジョンと、知と心のバランスを、
守り育てる現場の厳しさを知らない、愚かな政治家を憎む。
教育の何たるかを知らず、経済効率のみ追求し、
時間を掛けて慈しむ「ゆとり」を持たない教育政策を憎悪する。

わたしのせいじゃない―せきにんについて (あなたへ6)

わたしのせいじゃない―せきにんについて (あなたへ6)


生活の根底から家族団欒する時間を奪い、
24時間戦えますかと脅迫し、1日中活動していることを前提として
生活を「機能化」させ、国民一人ひとりを
非人間的な生産の歯車にすることを、先進国の証とした
愚かな国策を持つこの国に生きていることを、恥ずかしく思う。
娘に語る国の在り方が、「語るに落ちる」情けないものであることを。
                


個人の問題を言葉で語れないものが、どうして国家を支える国策を
ひねり出すことができるものか。
教育の現場は「教科書を」教えるのではなく、「教科書で」教える。
それは、あってもなくても大差はない。
有名無実化した法律に縛られるくらいならば、
現場は各人の倫理観と理想にしか支えられない。
現場は、正しく考え、伝える、「言葉」をもって成立する。
少なくとも、私はそう思っている。



私は法律の専門家ではない。
色々なブログでもHPでも論じられているような
専門的な解釈や意見を付け加えることはできない。
ただ、親として受け入れられない言葉の使い方や
内輪受けだけしている法律が成立する世の中に
娘を育てていかなければならないという、その恐怖と不安に苛まれる。
この悔しさを、何に代えていけばいいか考える。
次の世代のために。娘のために。

10才までに覚えておきたいちょっと難しい1000のことば

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思うとおりに歩めばいいのよ (ターシャ・テューダーの言葉)

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