Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

家人の実家へ

1月1日午後、名神で家人の実家へ帰省。
初めて大津SAによって琵琶湖を眺める。
琵琶湖を見るのも15年ぶりぐらいかなあ・・・。もっとかも。
ミシガンが見える。この夏には娘を乗せて琵琶湖周遊してみたい。

お土産を買うなら、上り車線のSAの方が大きくて品数も多い。
帰りに下りSAが?だったので、歩道橋を渡って上りSAに出向いた。
上りのSAは、何といっても湖を眺めながら食事ができる。
正月盆暮れにふさわしい、みやげ物の和菓子が購入できる。
作りたてのパンやがある。観光資料も豊富。
ただ、本線に戻るのは下りのSAの方が早いかも。


元日、朝方まで起きていたので家人には悪いが、うとうと。
思いの外高速は空いていたので、あっという間に着いたって感じ。
家人の運転で、長距離ドライブができるということが新鮮。
というか、できるようになったんだなあ・・・。


挨拶して、お土産を渡して、仏間で線香あげて、
義弟夫婦と娘のいとこである双子のベビー達、舅姑と家人、
元旦の夜はしゃぶしゃぶの鍋を囲んで、家族団欒。
すごろく、トランプ、おしゃべり。
みんなで近くの神社にお参り。お年玉あげたり貰ったり。
一見して、ごくごく普通のお正月の風景。


着いた時はみんなそろって梅昆布茶で、お茶。
家人の小学校の時の同級生に出会って、お茶。
朝食後に九谷焼のコーヒーカップで、お茶。
SAの紙コップで、お茶。


少し恋しく思い出す、新年のお茶事と花びら餅。
このお菓子は、お正月しか食べられない。
「1年に1度」だけのお茶菓子。
本当はおうすを立てて、静かにお茶菓子を食べたい。
20代のお正月風景が、チラリと心の中をよぎる。
眼前の、見事なまでに取り繕われた景色の片隅で。


FM ― オリジナル・サウンドトラック

FM ― オリジナル・サウンドトラック


元日の午後から家人の実家へ出向いた。
実に1年4ヶ月ぶりの訪問。
私にすれば、自分に「よくやった」と褒めてやりたい。
何せ、家人の病は全面的に私のせいだとなじられて以来、
(無論、これは根も葉もないことで、
 とうの昔に、二つの大学病院の複数の主治医からムンテラ済み)
結婚以来の積年の心の溝が、マリアナ海溝ぐらいになっていた。


主治医は「我々は慣れている」とは、のたもうたものの、
私は「ど素人」なので、いわれのない「嘆きの壁」の役目には
役不足。(こっちだってショックを受けているのに、だよ)
左右の頬を差し出せと言う、キリストの教えに従うことはできず、
早朝深夜を問わぬ舅姑の言動に、マッキンレー単独登頂。
「まともに冷静に切れ」まして、しばらく距離を置いておりました。
                
         

まあ、年女として、娘の母親として、新年は新年らしく
理性的に行動に出た(笑)つもり。
去年の今頃は、それどころではなかったですものね。
娘には、大切な叔父夫婦、いとこ達。祖父母。
だから、母として行動する。
マリアナ海溝には、たまに潜水艇で潜っていこう。
昨日今日は、探索しないでもいい。
そんなにしょっちゅう、探索しなくてもいい。
あえて、探索しなくてもいい。


私は年女。大吉を引いたんだから。猪突猛進。
嫌なことや苦手な事を振り返らずに、走って行こう。
老い先短い人間に、病んで戦う人間に、
何も知らない人間に、優しくできないほど
私は弱ってはいないはず。この1年間、
「ここ」で、たくさん優しさを見つけたから。
「ここ」で、たくさん強さを貰ったから。
「ここ」で、たくさん生きていくことの大切さを学んだから。
            


日常は、程よく取り繕うもの。
綻びは早く縫うもの。繕いきれなくなる前に。
完全主義で苦しくなる前に、加減は「ええかげん」で。
「なあなあ」ではなくて、「まあまあ」で終わらせておこう。
世間胸算用。娘のためなら、ない算盤もはじける。
様々な出来事。積もり積もったマリンスノー。
マリアナ海溝の奥底までも。


かーちゃんは、マリンスノーが海の栄養だって知っているよ。
君のためなら、かーちゃんは何でも栄養にしてみせる。
海の中には母がある。母の中には海がある。

測量船 (講談社文芸文庫)

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詩を読む人のために (岩波文庫)

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