Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

蜘蛛の巣からのお年玉

カウンターというものを最初の1ヶ月間設置していなかったので、
(付け方も知らなかったし、そういう考えが無かった)
正式な数はともかくも、今日で来訪者が1万人を越えました。
貴重な時間を割いて訪問して下さった方々、ありがとうございます。
ランキングも○○村も××ブログも関係ない、
コンセプトもなく、公式ブログでも企業ブログでもない、
本当に個人の(公開)日記に、よくぞいらして下さいました。
研修でブログの作り方を習い、そのまま公開モードになっていて
ただひたすら書いて、書いて、書き続けた。
お蔭様で、ブログも私も随分成長したようです。


書いた文章が、よく行方不明になって消えてしまいます。
打ち損じ、書き間違い、言い間違いが増えてきた今日この頃。
下書きを書かないで直接編集画面に打ち込んでいるので、
つまり、その時の「気分」で書いているので、(題も内容も)
先ほども、書いた文章や写真が一切消えてしまいました。
どうやら、先ほど書き上げたものはご縁が無かったものと見えます。


とどのつまり、書きたいから書いています。
何だか、書き始めたら止まらない日常生活なのでしょうか?
それでも、「書くこと」が一つの自制、気づき、
達成感になっていることは間違いありません。
自己満足の範疇を出ていないものではありますが。
強烈なポリシーや裏付けや取材や動機があって、
書き連ねているわけではないのです。申し訳ないのですが。


我ながら自分の書いたことに後から赤面することは多々あります。
がっくり来ることもあれば、自分の意外な一面も発見します。
この年になっても、「自分」に驚くことが沢山あるのです。
普段思っていることは、どうしても出てしまいがちです。
隠すことのできない自分に呆れもし、唖然としながらも、
我ながら微笑ましく思ったり、冷や汗をかいたり、
書いたことでほっとして肩の力が抜け、また決意を新たにし、
一休みして自分と向き合い・・・。
そんな勢いで書かれた本音、呟き、溜息、憤り、悲嘆、喜び、
感想、愚痴、雑談、薀蓄、ただの独白にしかすぎないものに、
共感、優しいお言葉、励ましのコメント、ありがとうございます。


今日のこの日、初めてコメントを下さった方がいらっしゃって、
本当に嬉しく思いました。
いつからどうやってこんなマイナーな場所を知り、
訪問して下さったのだろうと不思議なご縁に、
感激もし、傷み入ります。
色々思うことがあっても、読んで通り過ぎていくことが多いものです。
敢えて一言添えて下さるお気持ち、お心の背景にあるものに、
私もまた思いを寄せ、しみじみとします。
嬉しくなり、また考えさせられ、
一言では書き表すことのできない物思いに、浸ることになります。
文字で残るものは、何度でも読み返しますから、
それだけ思い入れを込めて書かれるでしょうし、
お互い読み返すことになるからです。


万葉や平安の人々が大切に文(ふみ)を残していたように、
21世紀にあって、電脳玉手箱の片隅で、
物思いに耽る自分を不思議な気持ちで振り返ります。
日々、読み散らし書き散らされるものも多々あるでしょうが、
人は自分の読みたいものを読み取り、聞きたい言葉を聞くもの。
その瞬間こそが、自分の心の軌跡を描き心の機を織る瞬間です。
心に留め置く言葉は、時代を経ても変わらないものなのでしょう。
人は自分の心持ちに合わせて、言葉から意味を掬い取り、
行間を読み取り、解釈し、咀嚼して、吸収します。
そして、あらゆるものに自分自身を見出すのです。


書き始めて5ヶ月余り、延べ人数ですから実際に訪れた方は
決まっている人、もしくは何かの検索で引っかかった
一見さんなのだろうと思いますが、それもこれも縁なのでしょう。
現実の世界ですれ違うことが無いというのに、
この世界では出会った、出会うことができた。
すれ違いざまに言葉を交わし、顔見知りになり、親しくなる。
挨拶をする間柄になり、そして・・・。
この世界に繋がる大きな蜘蛛の巣の片隅に居ながらにして、
新年早々私は、素敵なお年玉を頂いた気分です。
               
今、これを読んで下さっている方、今まで訪問して下さった方、
本当に、どうもありがとうございます。


私のFestina Lente にようこそ。
「ゆっくりいそげ」にようこそ。