Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

傷を消毒(入院5日目)

仕事を終えて、病院へ。途中で何か仕入れて行こうと
コンビニに立ち寄ったら・・・、職場のロッカーに
鞄を忘れて来たことに気付く。財布も無いけれど免許所も無い。
おっとっと、逆戻り。おかげで要らぬ時間を食ってしまった。


18時過ぎ、無茶苦茶強風、冬に逆戻り、寒すぎる。
病院の中は余りに暖かで、別世界だ。
家人の入院の時は最上階の個室で、いやがおうにも不本意な入院。
不可抗力、有無を言わさぬ治療が続いた。
どの病室もそうだが、余りにも静かな暗い空間で、
通えば通うほど気が滅入ったが、母の病棟は穏やかな雰囲気だ。


命のやり取りが無い外科系の病室は、大部屋か2人部屋。
見舞い客も付き添いも、看護師もぴりぴりしていない。
ようやく、以前の悪夢がちらつかなくなって来た。
これは、多分いい兆候なのだ。
こんなふうに感じられるようになって来た、ということは。
そう、自分に言い聞かせる。

死にたくないが、生きたくもない。 (幻冬舎新書)

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家族のゆくえ (学芸)

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町内会に顔を出すわけでもない、同窓会に行くわけでもない、
(故郷に帰るには、遠すぎるということもあるだろうが)
テレビを見るわけでもラジオを聴くわけでもない、
読んで赤線を引くだけの、母の毎日。
家に居る時のように相手にする植物は、いない。


関西に親戚が多くいるわけではない、ましてや、
見舞いに来る友人づきあいをしている人間もいない。
年下年上同級生に限らず、いかなるコミュニティにも属さず、
家族と野菜・花・樹木・金魚と犬だけを相手に、
他人と言葉を交わさず生活している母。


父と違って、呆けてもおかしくない生活。
恥ずかしいからとできないいことを隠し、
恥ずかしいからと知らないことを隠し、
疲れるからと他人と交わることを避け、
健康に自信が無いからと付き合いの全てを断り、
家事はこなしても、外出・買物・全て父任せ。


遅かれ早かれ、こんな生活では呆ける。
お笑い番組を低俗だと嫌がり、人混みを鬱陶しがり、
よく言えば聖人、悪く言えば偏屈な引きこもり、
安全だと思い込んでいる家と庭の中だけにいる。
だから見舞い客は、生命保険のおばちゃんだけだ。


主治医の先生は優しい。外勤の今日、昨日の約束通り、
夕方戻って来てくれて、傷口の確認、ガーゼの交換。
改めて見せて貰うと、思いのほか大きな傷跡に驚く。
主治医の先生と会ってお話できるのは、これが最後かも。
来週からは長期の出張だそう。
だから主治医と上の教授・助教授クラスを交えた
症例検討会は2週間伸びるわけだ・・・。


退院後の相談と、神経内科との連携を配慮して、
通院日を同じ日にするつもりとのこと、助かる。
とにかく、大学病院に来るのは一日仕事。
私とて、そうそう仕事を休めるわけではない。
父が元気だから母は病院に通えるといっていい。
どんなに近くのクリニックでさえも、一人では行けない。


家の中では、舅姑に仕えることも無い核家族で、
ある意味恵まれ、自分の価値観が家庭の全てで生きてきた母。
これからどうして行くのだろう、どうなって行くのだろう。
連れあいを亡くしたら、どうするつもりだろう。
生活を支える足を無くしたら、もう一巻の終わり。


退院して、元のように身の回りができるほど回復する?
全くわからない。
外の世界では、借りてきた猫のようにおとなしい母。
余りにも楽天的過ぎて、心配な父。
2人は、どんなふうに歳をとっていきたかったのだろう。

老後がこわい (講談社現代新書)

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自分を記録するエンディングノート

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