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漫画で文化交流

朝のニュースをラジオで聞いた。アンデルセンの国、デンマーク
日本大使の立案で、コスプレの集まりがあったそう。
コスプレサミットと称されているが・・・。
http://www.dk.emb-japan.go.jp/_letter/letter-09.htm

日本のアニメが優秀なのは言わずもがなで、世界中で放映されて久しいけれど、
最近は漫画雑誌、漫画の作品そのものも世界進出が甚だしいのだとか。


フランスでは若者の読書離れを防ぐ為に、日本の漫画を図書館に置き、
イギリスでは国民的な作家、かの有名なシェークスピアの作品を
少しでも幅広い読者層に読んで貰う為に、漫画化されるのだそう。
日本の漫画を出版すると、何十億円もの利益に繋がるのだという。


著名な作品の漫画家なんて、何を今更の日本だけれど、
外国ではそれだけ自国の文字文化にそれなりに誇りがあるのか、
漫画化が難しいのか、漫画になりにくいのか、職業として成り立たないのか、
とにかく自国で漫画化して広めようという動きは、本当に無かったのか、
私にはわからないが・・・。


「日本の歴史」は石ノ森章太郎が漫画化していたし、
三国志」等は横山光輝、偉人伝記の類も漫画化されているし、
百人一首」「ことわざ辞典」も、ちび丸子ちゃん化・ドラえもん化が
珍しくない日本の図書文化、図書館の現状、子供の読書。
それを今更、どうこう言う気は毛頭ない。


日本が輸出する漫画、日本の誇るストーリー漫画、ナンセンス漫画、
歴史漫画、恋愛漫画、SF漫画、どのジャンルでも先駆者であった
手塚治虫が聞いたならば、草葉の陰から喜んでくれるだろう。
今や、日本の漫画は「アストロボーイ」ではなくて、
原題のまま受け入れられる御時世、欧米のコスプレブームを知って、
複雑な心境になるかもしれないが。

ニッポンのマンガ (アエラムック―AERA COMIC)

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江戸のまんが (講談社学術文庫)

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マンガの深読み、大人読み (知恵の森文庫)

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そう、デンマークの日本大使が立案・計画して、コスプレを企画。
若者に日本文化を知ってもらう為に、漫画を通じて国際理解を図った。
そこまでは何気なくニュースを聞いていた。
次のニュース解説が頂けなかった。


漫画を中心とした国際理解を深めようという、
世界に誇れる日本の漫画にこだわる背景は、
対中国を視野に据えているからだとか。本当か?
びっくりである。


何でも歴史上、「眠れる獅子」と言われてきた中国は、
今や破竹の勢い、人口、教育力、国際競争力、経済力、そして文化交流で
世界中に語学学校を作り始めているのだと言う。
それでなくても、世界に広がる華僑の力はいまだに強い。
従来からの活動力、経済力は言わずもがな、
地域に根ざしながらも結束力の強い同朋意識と先見性は、
少々のことで、太刀打ちできるものではないはずなのだが・・・。


とにかく、中国が文化政策として増やす方向の語学学校への
対抗策として日本が持っているのは、「マンガ文化」なんだそうだ。
(少なくとも、私は車の中でニュース解説の流れをそう受け止めた)
マンガから、日本の文化・言語に親しみを抱いてもらい、
そこから文化交流を図るのが、第一歩だと言うのだが・・・。
何だかずれている、それでいいのかと思う。


それって国際レベル文化交流に匹敵するものなのかどうか、
というよりも、マンガにそこまで頼らざるを得ない危機感は
抱いていないのか・・・?
マンガ文化をけなす気は無いが、何かずれているような
不安感を抱く私は、古い人間なんだろうか。

日本のポップパワー―世界を変えるコンテンツの実像

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日本発イット革命―アジアに広がるジャパン・クール

日本発イット革命―アジアに広がるジャパン・クール


かつて教育界から、焚書坑儒の憂き目に近い迫害を受けた手塚漫画、
今やどこまで進化していくのかわからない、漫画、アニメの世界。
御伽草子の世界から、小説、詩、エッセイ、全ての文章を内包するような、
薫り高い漫画世界もあれば、荒唐無稽な冒険活劇まで、
スポーツ根性ものから、わかる人だけにわかるオタクでカルトな世界、
様々な漫画、様々な小世界。


それらを手段に売れている、名の知られている一部を媒介に
日本文化を知って貰おうという、動き。
若者がとっつき易いものから知って貰おうという、気持ち。
わからなくは無いが、何か変だ。
蛸壺型の自分の世界に引きこもる、自意識過剰な人間の
僅かな接点を漫画的世界に頼りすぎるのは、如何なものか。


親近感を抱く、ということから理解は深まるかも知れない。
しかし、親近感以上に、自分の興味関心の範囲外のものには
決して近付かないという枠を乗り越えて、
惹きつけるもの、引き寄せるものをどれだけ、
その先の文化交流の中に盛り込んでいけるのか。
今までのようにお役所的に、もしくは草の根的に動く前に、
時代はとっくに、別の所で勝手に動いていっているのだが・・・。


アタゴオル物語」を読んでいる人に、親近感を抱く。
でも、その人が日本の文化に関心を持つかどうかは、わからない。
この作品は日本的な情緒の元に構成されている作品です、
と言われたら首を捻ってしまうだろう。


日本の文化から「漫画文化」が生まれた。
しかし、漫画文化=日本の文化ではない。
そこを履き違えて、中国の語学学校に対向する強力な手段、
いざいざ世界へ向けての日本の漫画文化!
などという、おかしな期待を煽り立てないで貰いたい
というのが、今の私の正直な気持ち。
漫画は一つの表現たり得る、しかし、言語の全てではない。
言語文化が表現の全てではないように。


諸星大二郎は日本の漫画家である。は、成立。
日本の漫画家は、諸星大二郎である。は、不成立。
そんな感想を抱いた今朝のニュース、でした。

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