Festina Lente2

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問題意識に名前はあるか

ゲーテは言ったそうだ。
「名が何だ、薔薇は何の名前で呼んでも、良い香りがする」


5万人が中退だそう、私立大学。そりゃ、そうだろう。
第一面、新聞記事を見ても、何の不思議も感じない。
勉強したいことも、やりたいこともなく過ごしてきて、
働きたくないからとりあえず学生をしたい、と思っている学生大半。
「学生=遊ぶ人」という憧れが妙に強い、中高生。大学入学まで
散々遊び倒してきた者も多いはずのに、
本人たちは、「勉強した気」になっていたりする。
お粗末な受験勉強レベルでも。


何といっても、アジアで最も勉強しない小中高校生を有する、
未来への希望や展望が持てない国、日本の若者。
それが、囲い込み運動よろしく、きめ細かい指導を受けぬまま、
檻のような建物の中で一定期間飼われて、年齢順に先送り。
これが教育現場何だから。
何より、教師は冷遇されているから、「教師や教育なんて最低」と
思われているしね、残念ながら。
(医師免許がありながら、空き時間の有効利用と称して
 駐車場整理をさせられたって世界も、驚愕だけれど)


ゆとり教育で、自ら考える前に考える面倒くささを放棄。
考える=とりあえず、一部の人間に任せればいいこと
感じる=どうしようが「自由」だから、
気に食わないと文句を言ってもいいこと
辛いことはできるだけせずに、「ありのまま」を受け入れてくれる
そんな寛容さをひたすら求めて、「熱いうちに打たれたことの無い」
もはや鉄にはなれない、若者たち。
操作された情報に、何の疑問も抱かない羊の群れに育成されて。


私立大学の先生方、常勤は少ない。最近は国立でもそうかな?
山のような非常勤を雇っている。
そうやって、学校としての体裁をどうにかこうにか整え、
支えてもらっているといって言いのだが。
学生管理とその資質向上の責任を負わなくても良い、
ゼミを持たない講師は元より、
学生も教員と向かい合うことはしない。
議論も討論も、喧々諤々は理論武装ではなく喧嘩だと思っている。
仮定も想定も無い、単語羅列世代には期待できない。


各論・総論・語学講座、必修とはいえ、学生は手を抜きまくる。
勉強する気持ちなど最初から持ち得ない学生に、
学問の初歩たる「レポート」なんぞ課したら、
どんな悲惨なことになるか・・・。字も文章も書けないのに。
そんな学生の手間隙かかる指導に時間を取られるくらいなら、
自分の研究に時間をかけたい講師・先生方が、
給料以上の仕事をするわけ、ないでしょうが。

事実/価値二分法の崩壊 (叢書・ウニベルシタス)

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小数ができない大学生―国公立大学も学力崩壊

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私学の先生が、いけないのではない。
みんながみんな、大学に行こうとするのがおかしい。
小中高の学歴で就職できない社会、
大学を出たと言えるのか疑問な、無能力学生量産、
オーバードクター量産、学士様の能力差も甚だしい世間。
象牙なんて見たことも無い世代の象牙の塔、だからね、
この先どうなっても、仕方が無いかもしれないけれど、
研究費用もなく勤め先も無い、現実。


別に大学だけが悪いのではなく、
送り出す高校側だけが悪いのでもない。それにしても・・・
掛け算も九九も漢字の書き取りも満足にできない者も、
進路保障の名の下に高校に進学し、大学に進学する。
「進学」なんていう名称の虚しいこと。
学ぶ気持ちもなく、何かを与えられて、
運が良ければやってみてもいいかも、「かも」でしかない。


心の底から何かをしたいと望んでいるのに、
何も無い、させてくれない、教えてくれない学校が悪い
先生が悪い、社会が悪い、親が悪い、と若者はいう。
大学を中退して、辞めたくなったのは、
高校で進路変更せざるを得なくなったのは、
中学で色々あったのに、配慮のある転校が許されなかったのは、
小学校で・・・
全て回りだけが悪い?


ゲーテは言ったそうだ。
「名が何だ、薔薇は何の名前で呼んでも、良い香りがする」


進学が何だ、中退が何だ、学問が何だ、
何の名で呼んでも、自分の問題だと思えない者にとっては、
何の意味も無い。

断片化する理性―認識論的プラグマティズム (双書現代哲学)

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世界の大学危機―新しい大学像を求めて (中公新書)

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