Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

薔薇園と聖地巡礼

期待していた地元のお祭りが、思いの外小規模だったので
しばらく屋台を物色した後、万博公園に出かけた。
悲しい事故があってエキスポランドは閉園中だが、
自然文化園のバラは今が盛り、これを見逃す手はない。
あいにく、雨上がりの晴天なのに風が強くて、
せっかくの香りを心ゆくまで堪能できないのは残念だが、
見た目の観賞には申し分ない。
 


何故この薔薇園が好きかというと、植えられている品種が古いからだ。
自分が子どもの頃、移り住んだ社宅で見かけた薔薇、
学生時代苗木を買って植えてから、欲を出した20代半ばまで、
バラの手入れに熱心だった頃の、思い出深い品種が多いからだ。


だから、最近の品種は全く知らない。色合いの美しいピース、
よく見かけるクイーン・エリザベス、黄色で小ぶりの天津乙女
色はくすんでいるものの、紫の薫り高いブルー・ムーン、
真っ赤なスーパースター、格調高いロイヤル・ハイネス、
小粋でかわいいモダン・タイムス、等々・・・。
お馴染みの薔薇に、どうしても目がいってしまう。
 


娘は落ちている薔薇の花びらを1枚1枚拾っては、
水に浮かべて遊んでいる。あのビロードのように柔らかい、
思ったより肉厚な感触のしっとりした花びら。
房咲きであろうと、一輪仕立てだろうと、一重だろうと八重だろうと、
それぞれにバラの趣きは違えど、見目麗しく薫り高い。
丁寧に集めた薔薇の花びらをうずたかく積んで、
「親指姫のベッド」と称して作っていた、子供の頃が懐かしい。


オレンジとは言い難い、茶色の薔薇があった。
変わった色だなあと思ったら、その名も「テディベア」
なるほど、うがった名前だ。
ちょっとした出会いも楽しい、薔薇園。
 

         
そう、品種や名前なんか知らなくても構わない。
「名が何だ、薔薇は何の名で呼んでも、よい香りがする」と
かつてゲーテが、のたもうた通りだ。
薔薇の色と形と香りは、眼前の景色の中に、
思い出や癒しを紡ぎ、燻らせ、
老いも若きも子供達でさえも、えもいわれぬ心地にさせる。


薔薇で思い出すのは、詩人リルケ
確か棘を刺して急性白血病で亡くなったらしいけれど、
本当かな? そういうことがあるのかな。
とにかく、中学生のころ読んだ詩集には、こんな詩があった。

リルケ詩集 (新潮文庫)

リルケ詩集 (新潮文庫)


何処にこの内部に対する 
 外部があるのだろう? どんな痛みのうえに 
 このような麻布があてられるのか?
 この憂いなく 
 ひらいた薔薇の 
 内湖に映っているのは 
 どの空なのだろう? 見よ
 どんなに薔薇が咲きこぼれ 
 ほぐれているかを ふるえる手さえ 
 それを散りこぼすことができないかのよう
 薔薇にはほとんど自分が
 支えきれないのだ その多くの花は 
 みちあふれ
 内部の世界から 
 外部へとあふれでている
 そして外部はますますみちみちて 圏を閉じ
 ついに夏ぜんたいが 一つの部屋に
 夢のなかのひとつの部屋になるのだ
                   「薔薇の内部」 


   

 薔薇 おお 純粋な矛盾 よろこびよ
 このようにおびただしい瞼の奥で なにびとの眠りでもない
 という

                    「薔薇 おお 純粋な矛盾」 

リルケ詩集」(富士川英郎訳 新潮文庫
 

              
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もっとも、このような美しい詩に癒される時間からは縁遠い生活。
庭で育てていた多くの品種は、どこへ行ってしまったのか。
省みる暇も無いままに、いつの間にか失くしてしまった、
自分で植え、育てた薔薇の庭。今はもう無い、私の庭。
薔薇に背を向け、国立民族学博物館の開館30周年記念
特別展「聖地・巡礼−自分探しの旅へ−」に足を運ぶ。


聖地巡礼。いささかインスタントな聖地巡礼は経験したことがある。
キリスト教の巡礼旅行に混じって、不信心な私の聖地巡礼
それなりに、心の旅であり自分探しではあったが、
新しい自分に巡り合えるほど、歩き倒して精進したわけではない。
ルルドに詣でたのは12年も前のことだ。
その後、徳島に住んでみてから、お遍路さんというものを知り、
日本の巡礼を間近に知ったくらいだから、大概なものだ。



今回の展示では、スペインの巡礼がメイン。
お遍路の朱印状ならぬスタンプ帳を片手に、展示を見る仕掛け。
ありがたくも、無料で貸し出してくれる案内テープの
壇ふみのナレーションが、しっとりと落ち着いていていい。
映像も大きく、観易い。閉館間際で空いていたせいもあり、
どの映像もゆっくり見ることができた。


スペインはほとんど手付かずのまま、マドリッドとトレド以外、
訪れることも無く、今まで来てしまった。
老後の楽しみに取っておくべきか、
       しかし、歩き通すことはできないだろう。
サンチャゴ・デ・コンポステラへの巡礼の道。
自分探し、なんていつまで経ってもできないものだ。
一人で孤独に考えなくてはならないこと、
直面しなくてはならないことは山ほどあるが。


所詮、今、あるものから創り上げていかなければならない。
その途中で、僥倖のような出会いはあるかもしれないが、
必要の意識を持たないものに、その出会いは見出せない。
いつもいつも、啓示があるわけではない。

      

薔薇園を巡り、展示室の狭い空間を巡り、
未だ見ぬ聖地に思いを馳せ、祈りにも似た切なさを味わう自分。
小さな薔薇の中の宇宙、永遠の眠りにも似た、
聖地のような神々しさを持つ薔薇の内部に至る、
自分自身の巡礼の道を、未だ私は見つけ得ず、持たない。


薔薇は何の名で呼んでも、よい香りがする。

サンティアゴ巡礼の道 (とんぼの本)

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サンティアゴ巡礼へ行こう!―歩いて楽しむスペイン

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