Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

こんな一日に思うこと

HE SAID SHE SAIDだったけかな、仕事しながら観たのは。
結局仕事しながら、深夜映画を見てしまった。
彼から見た真実、彼女から見た真実、そのギャップ。
でも、結局はハッピーエンドだったので満足。
本質的に、後味の悪い映画は、嫌い。


3:30 入浴 4:30 就寝 7:00起床 8:00 出勤 
13:15 出張に出かける。13:40 いつもと違う駅の駐車場に。
13:50 昼食は冷麺。14:10 地下鉄で出先へ。少々遅刻。
17:15 出先の駅前で、久しぶりにチャンジャとするめキムチを買う。
17:50 駐車場ビルで買い物。娘の運動靴、私の帽子、
    スカーフにもなるハンカチ、Tシャツ。
19:10 車のお陰で電車より速いけれど、交通費は320円OVER。帰宅。


でもって、歩数計を見てみると14380歩。昨日の倍だ。
一昨日点滴をしてもらいたいと思ったくらいなのに、
でも、あと2日無理をすれば、7月の納期は終わるので、
我慢我慢。気は心のビタミン剤飲んで・・・。


夕食はお土産に貰った豚饅。トマトと玉葱ときゅうりのサラダ。
湯がいたとうもろこし。味噌汁。麦茶では物足りず、
(やっぱり沢山歩いたせい?)
久しぶりにチャンジャで生温いビール。
イタタ。やっぱり胃に響きました。無茶しちゃダメだ。
それに、これじゃ頑張って歩いても痩せん。


歩数しか出ないシンプルな歩数計で、ちょっと頑張っている。
しかし、ドクターと約束したマイナス2キロには程遠いね。
お腹を壊したらすぐ体重は減るけれど、食べられるようになって、
2,3日もすれば元通り。なんちゃことないよ。
でも、意識して歩かなくちゃね。

歩く

歩く

歩くことが楽しくなる飛石・敷石作法 (ガーデン・テクニカル・シリーズ)

歩くことが楽しくなる飛石・敷石作法 (ガーデン・テクニカル・シリーズ)


ちなみに、本日の出張のメインは・・・
男女共同参画セクシャルハラスメントに関する内容。
知っておかなければならないことだけれど、
軽々に取り扱えるものでもないし、
職場に広めるように、もしくは教育の力で徹底するように、
継続が大事と言われても、・・・大変なのよ。


権力と魅力を履き違えている人もいるし、
何でも性的対象に見てしまう御仁もいるし、
マイノリティに配慮しないわけでは無いけれど、
逆差別にもなりかねない過敏な地雷も多々。
既存のジェンダーが既に崩壊している家庭って、
どういう事よ。何を基準にして既存?


意見交換の無い一方的な講義の中で、
人権に関する部署でのセクハラに対して追及。
こういう流れの中で、何を学んで持ち帰ればいいのか。
主催者の意図、わからないではない。
ただ、職場には真摯に向かい合う為の、
継続的な場を設けることは難しく、単発がやっと。


打ち上げ花火で終わっているわけではないが、
倫理的な問題の理解と、啓蒙の裾野は同時進行が、ね。
という訳で、溜息交じりに「ためしてガッテン」を見る。
廃用性症候群を防ぐための口腔ケアの一つ、口腔体操。
「パ・タ・カ・ラ」を繰り返して言うのだそう。
娘と2人で、遊びながら「パタカラ・オタカラ」と繰り返す。


誤飲・誤嚥を防ぐ為の訓練として舌を動かすこと。
物を飲み込む訓練、まず、舌を上下左右に動かす。
舌を動かす為に、普段からおしゃべりを。
なるほど、会話の少ない独り暮らしじゃ呆けるし、
食事も美味しくない。食欲も減る。
頭にも体にも栄養が回らなくなる。


普段が大事。普段から使うことが大事。鍛えることが大事。
体だけではなくて、心や知識の問題も、
男女共同参画などという仰々しい言葉に彩られた、
政治絡みの内容ではなく、もっと身近なことから。
私作る人、貴方食べる人ではない食事。
重い荷物を持つのは、決して男ではない。
赤ん坊を抱っこするのは、決して女ではない。


そして、「かつて」どういう状態があったから、
「今」から「そして」を作ろうと意識しなければならないか、
教え伝えていくこと、我が子に、我が子のみならず。
詰め込まれる知識が刷り込まれる経験が、
しなやかな心を束縛する、認識の廃用性症候群を生まないように。


男女共同参画という名称事態が、禍々しいと感じる。
虐げられていたことを忘れ果てたように、当たり前のように
共同戦線を張っているが如くの、過去をきれいに葬り去った政治用語。
その名称に守られていなければ、政策や教育が推進できないのならば、
それは既に隠れたカリキュラムに侵され、本質的には役に立たない。
形だけ、器だけ、体裁だけを取り繕った
「時流の合わせたニーズ」の演出に過ぎない。


レポートがあるわけでも無い。フォローがあるわけでも無い。
研修は打ち上げ花火のようなもので、上げる方は大変だから、
上がった姿を見て思わず満足してしまう。
一瞬の花火の跡に残されたきな臭さや、夜の闇の深さを
まるで忘れたかのように。
打ち上げ花火を見上げるることで、
花火そのものを知っているかのような、錯覚。


全ての人間が花火師になれるわけではない。
でも、花火が何かはもっと詳しく知ることができる。
小さな花火なら、自分の手に持って燃やすことができる。
燃えた後の、後始末も覚える。
火遊びの恐ろしさも、教え込まねばならない。
きれいに見える物がどんなふうに危ないかも。


知識も、物の見方も、認識する過程も、
自らの生活の中からしか学び取ることができない。
「それがどうかしたの」と、何も感じたり知ろうとしない、
そんな子供が増えないように、そんな大人にならないように、
心も「パ・タ・カ・ラ」を言い続けなければならない。
そんな気がする。

語り女たち (新潮文庫)

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