Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

なら燈花会 春日大社萬燈籠

家人が夏休みを取れないという。
社会復帰をしてくれたのはいいが、体が心配だ。
片付けものは遅々として進まない。外は猛暑。
年女としては、直射日光の下で泳ぐのはもう沢山。
プールも登山も高原での避暑もなく、お盆。
徳島は阿波踊りで賑やかなことだろうと、家人が呟く。


されば、一念発起。涼しくなった夕方から外出しようと、
念願の春日大社、萬燈籠(中元萬燈籠)へ出かけた。
家に仏壇はない。熱心な曹洞宗の信者でもなければ、
クリスチャンでもないが、ご先祖様は敬いたい。
万物の霊にも感謝の気持ちを祈りたい。
無病息災、家内安全、心願成就は言わずもがなで、
明かりを捧げに出向くことに。


家人、小学校の修学旅行以来の奈良。何十年ぶり。
早めに仕事を終えて貰い、日本橋から近鉄で。
やや年配の方の風情ある浴衣姿が多くて、ほっとする。
PLの花火の時は、どこのリゾート地か何の流行か、
訳のわからぬ着付け・着こなし・アクセサリーの洪水。
少々、風情とは程遠い浴衣姿に辟易していたので。
それはともかく、そのPLの花火と同じぐらいの人出。


本日最終日のなら燈花会の灯りを眺めながら、表参道へ。
夕食抜きで冷たい万葉粥の看板に気を取られる家人。
されど、お参りがメイン、ゆっくり食べる時間などない。
娘にかわいい提灯を一つ、ややまばらな人並みに流され、
ひたすら歩く石畳。奈良の空は大阪より星が良く見える。

「灯りの数だけ、ドラマがある」なら燈花会は、
娘が生まれた平成11年から始まった行事だ。
そういう意味ではご縁があるともしび、一客一燈。
街中のネオンの光が届かぬ春日大社の参道は、
本当に石燈籠に揺らめく蝋燭の明かり。
燈籠に一枚一枚貼られた、灯りを寄進した人の名と願い。


夜の行事に小さな子どもを連れ出すのはどうかと思ったが、
家人と私の生活の中では何を今更の夜更かし娘、
元気に屋台のソーセージをぱくつき、提灯に火を灯し、
「灯りを持っている私が先頭、抜かさないでね」と
張り切って歩いている。普通の子は寝る時間だ。


特別拝観料を払って、3千基の燈籠が吊られた回廊へ。
献灯者が直接灯を入れる燈籠には、印が付いている。
闇夜に浮かぶ、様々な意匠を凝らした燈籠。
景色、経文、願い事、多種多彩な文様を透かして、
来世の光が漏れ出でて、現世を彩る。

私は祈る。家人も祈る。娘も祈る。それぞれが祈る。
思いを込めて、心から祈る。
夜の闇に、優しく溶けていく光の中に、
過去から未来への道しるべを求めて、
森羅万象の不思議と、その神秘、
未来永劫変わらぬ、「健やかに在る」ことへの願い。


親になってわかる。自分の願い事よりも、
子の成長を、幸せを、何よりも優先する気持ち。
一挙手一投足に目が行くゆえに、子を縛り、
帰って不自由な思いをさせているのではないかという、危惧。
人生の後半を豊かにしてくれた娘の存在を、
人生の後半を、厳しくも哀しく愛しくしてくれる家人を、
私は祈る。家族の未来を。

帰り道、なら燈花会の蝋燭を一つ一つ覗き込んだり、
薄暗い芝生の上を走り回る娘。
若草山も見えない闇の中で、まるでピクニック気分。
親達は電車の時間も帰宅時間も気になって仕方ないのに、
「鹿、バンビだー」と鹿に向かって走り、
「レーザービームに似ているね」と鹿の鳴き声を評したり、
お陰で大仏殿まで歩いていく時間が・・・。


予定は未定であり決定ではない。また来られる。
燈火に揺らめく大仏は、次の楽しみに取っておこう。
燈花会とライトアップされた寺社は、次に。
もう少し早めに出てきて、腹ごしらえは万端にして。
帰宅したら、真夜中。やれやれ、みんなお疲れ様。


最後に。光はロマンチックです。でも、夏の蒸し暑さの中で、
鹿の(糞の)臭いはけっこう強烈。歩いているうちに慣れるけれど、
侘びさびよりもリアルに生きている実感、草いきれならぬ、
春日大社の神の使い、鹿の生活臭を実感した暗闇でもありました。
では、皆様、良いお盆休みを。

奈良のたからもの まほろばの美ガイド (be文庫)

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LOVE 奈良 cafe

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