Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

フィラデルフィア美術館展

本当はゆとりある京都での一日を過ごしたいのだが、貧乏根性で、
せっかく来たのだから美術館のはしごというハードスケジュール。
精神的にも体力的にも目一杯なんだけれど、レッツゴー。
地下鉄烏丸線御池から東西線に乗って東山まで。
大きな通りを避けて、車の入れない小さな川沿いに進むと、
あっという間に平安神宮の大きな朱色の鳥居の前に出る。
隠れた近道。土産物屋を物色したい方は、大通り沿いにどうぞ。


閉館まで1時間半だが、子供用テープもあったので借りた。
ただし、説明は短くて聞き易いものの、物足りない内容。
さて、今回のフィラデルフィア美術館展、副題が問題。
印象派と20世紀の美術」つまり、19世紀から20世紀の作品。
絵画彫刻など美術品関係で、日本人は特に印象派がお好み。
たいていの美術展は、印象派展だと集客率がよい。
20世紀の美術だけでは、実際魅力に欠けるというか、
その現代的な美は、頭では理解できても心は癒されないというか、
そういう作品が多いのだ。(むろん、私の個人的解釈)


だから、著名な芸術家の作品だとわかっていても、
苦手なものは苦手、観て鑑賞して、なるほどとは思えるけれど、
納得して浸る切ることができる作品かどうかは、別。
そういう意味では、今回の展示内容は私にとっては折衷展示。
少々不満が残る結果となった。


ヴォカリーズ・リラクゼーション

ヴォカリーズ・リラクゼーション


美術の専門家から言わせれば、頭の固い昔好みの許容量の無い観客。
72点全てが油彩(1点のみテンペラ)の傑作ぞろいに、けちを付ける気はない。
でもね、主催者側はルノワールの絵をポスター・チケットにしている訳でしょ。
まかり間違っても、カンディンスキーやレジェ、デュシャンなどが前面に
出てきたりはしない。仮にマチスピカソが出ることはあってもね。
だから、抱き合わせ販売のような展覧会の印象を受けざるを得ない訳。。


しかし、今回初公開の中で新鮮で、印象に残ったのは
後にマックス・エルンストの妻になる、ドロテア・タニングの作品
「誕生日」・・・なかなか意味深な題名。絵の内容も勿論。
オキーフとは異なり、別の意味で挑戦的。
ただし、これも心を癒してくれる作品ではなく、様々な比喩に富んだ、
受け手側の想像力を描き立てるものだと言っていい。


本日は、この一点に心惹かれたことが、今の私の状況を示しているのかも。
しかし、珍しくカタログを買う気は起こらず、帰途に。
その後、地元の夜店に娘を連れて行かねばならず、
頭の中は、思索を必要とする高尚で精緻な芸術世界の崩壊を経験。
やっぱりプリミティブなナスカ展の印象の方が、強かった。


布と綿でしっかりと巻かれた子供のミイラ。
干からびた心の中に引っかき傷のように刻まれた、パンパの上の構図。
優しい柔らかな金の巻き毛、初々しく子供らしい少女の絵や、
豊満な肉体を惜しげもなく晒している女性、
暗い闇の中で火花が散るようなファンタジックなパウル・クレー


頭の中は、小さな異次元ポケットのように、くらくら。
残暑の京都、歩き回って、歩き回って、長月の朔日。

行正り香監修 ラフマニノフ for DINNER&DRINK~ロマンティックなディナーとお酒に

行正り香監修 ラフマニノフ for DINNER&DRINK~ロマンティックなディナーとお酒に

チャルダッシュ

チャルダッシュ