Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

あるまじき状態

私の小学校時代がどうだったか、それは覚えていない。
少なくとも、どうにかこうにか帳尻を合わせていた。
何かに特別に苦労した覚えは無い。
全く無いわけではないが、どうにかなっていた。
親は全く無関心、無頓着。構わないものだと思っていた。
しかし、自分が親になってみると、何とも・・・。
こんなにイライラ歯がゆいものだろうか。


相談を受けたり、人に話す時には「ゆっくり」がキーワード。
しかし、自分の子育てに関する限り、全くお話にならない。
「いそいで」「早く」「何してるの」「いい加減にしなさい」
このリフレインだけで毎日が過ぎていくようなものだ。
折しも、9月の最初が土日、夏休みを得したように見える。
されど、心を鬼にして点検すればボロボロ。


自由研究という名の宿題は無い。もっとタチが悪い宿題。
「出しても出さなくてもいい宿題」と銘打って、
絵画、読書感想文、お習字(毛筆・硬筆)等が出ている。
小さな字で「コンクール参加賞があります」等と姑息な。
こんなこと、去年無かった。
当然、怠け者の娘は「出さなくてもいい」をてこに、
何もしようとしない。まあ、原則としてはそうだよね。


それどころか、たった2枚の絵日記さえ、お粗末なものだ。
保育園時代の絵の方がまし。というより、あからさまに
いやいや書いて(描いて)いているのが、丸わかり。
どうして一つでも得意なものと、次に得意なものとに
チャレンジして二つ仕上げてみましょうとでも、
上手に学校でおだてて指導くれないのか。


最初から「してもしなくてもいい宿題」と書かれたプリントでは
本人達のやる気など、どうやって掻き立てたらいいのか、
保護者側としては、さっぱりもわからない。
お尻の叩きようも、火の付けようも無いではないか。
ま、教師側からしたら、熱心な家庭とそうでない家庭、分別。
やってきた生徒だけに成績加点、楽な作業だ。
全員評価することを前提にしないで、仕事が出来る。


自由研究と銘打って「何かをする」ことを目標にするのと、
「してもしなくてもいい宿題」と提示するのでは、
自分が生徒の立場なら、どう反応するかわかろうものが。
それとも、そんなこと気にせず仕事をしているのかな、
小学校の現場では。総合学習も減らすことだし、
「自分で考え、発見する」なんていうおためごかし、
もう通用しないものね。


やらない子、やろうとしない子、やれない子はほっておいても、
「自分のペースで勉強しています」ときれい事を言って、
指導放棄・学級崩壊を招いていても、
家庭内教育力不足、地域社会の教育力不足で済ますんだもんね。
さて、40年前でも親に宿題を点検された覚えは無かった。
そんな家庭で育った私は、娘が本当に何もしないのにキリキリする。

新版 宿題ひきうけ株式会社 (新・名作の愛蔵版)

新版 宿題ひきうけ株式会社 (新・名作の愛蔵版)


夏休み、娘と一緒に過ごしていると、
本を読む以外に、積極的にすることなどあるのだろうか。
その本とて、家にいくら名作や全集があろうとも、
最近の軽いショートノベル・ライトノベルの類。
漫画なのか挿絵なのか、少々疑問な本が多い。
創造力を育む以前に、イラスト過多。
そんなふうに感じ、考えるのは「年寄り」の部類だからか。


娘に読書感想文を書かせたら、もっとひどい。
学校で習っている漢字以外、書けたとしても
書いたらいけないのだという。そうなのか?
おまけに、原稿用紙の使い方を習っていない。
娘が忘れているだけなのだろうか・・・。
それで「出しても出さなくてもいい宿題」な訳だ。
まだ、指導していませんなのか、覚えていませんなのか、
どちらに転んでもOK。

夏休み 絵日記のじょうずな書きかた 1・2年生

夏休み 絵日記のじょうずな書きかた 1・2年生

1年生の時の方が、まだましだったのはありあり。
担任が変わってから、授業に興味を失ってしまい、
悪く言えば図書館に逃げ込み、
良く言えば読書にいそしんでいる娘は、
アンバランスな言語能力を身に付けてしまった。


読むのは速い。でも飛ばし読み。理解する力はそれなりにある。
しかし、じっくり筋道を立てて考えを述べたり、
まとめたりはできない。むしろ苦手。
反芻して思い返し、再構成してまとめ直すなど。
ゆえに、書き言葉での表現は非常に苦手。
つまり、かなり読めていても、思いのほか書けない。


小学生の基本的作文「先生、あのね」「おかあさん、あのね」
既に、担任と母親に鬱屈した思いを抱いている娘は、
1年生の時のように、無邪気に自分の気持ちを綴ったりはしない。
おまけに家人が横から、「・・・書いたら字数が稼げるから、
こう書いておけ」なんて変な入れ知恵をするものだから、
目も当てられない散々な読書感想文を書いている。


つまり、読み手はストーリーなんか知らないだろうという前提で、
ストーリーを知られている課題図書は絶対読まない書かない。
好きな本で書く。ストーリー展開は、粗筋を書くとしんどい。
よって、飛ばして、思いついたことだけ書く。
話の流れに合っていようといまいと、思いつくままに書く。
落ちもなく、感動の中心も無い、粗筋にも合致していない、
殴り書きの文章が原稿用紙に1枚半。
自分の子供でなかったら、殴り倒したいような出来である。

小学生100冊読書日記―フィンランド・メソッドで本が好きになる (RYU SELECTION)

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小学校1・2年生の読書感想文―実例作文がいっぱい!

小学校1・2年生の読書感想文―実例作文がいっぱい!

とどのつまり、宿題の点検を前日にする母親がアホなのだろう。
そんなのもっと早い事やっておけよ、なのだ。
サザエさんちの波平さんやフネさん夫婦のように、
かつお君の悪戯・失敗・成績・忘れものに鷹揚になれれば、
波風も立たず、平和な一日だったのかもしれないが、
超凡人の私。かーちゃんとしては、顔に皺を無駄に増やした。


小奴のDNA、紛れもなく私から受け継いだもの。
(そりゃ、半分は家人だろうが)
このいい加減さ、ふてくされた大胆さ、ズボラさ。
工作なんぞ、軍手に目鼻つけてポプリをつめておしまい。
ああ、こういうことが毎年これから10年間も続くのかと思うと、
うんざりする。要は、ほって置けばいいのだろうが、
まさか、全面的に点検を放棄する訳にもいくまい。
世の中のお出来になるお母様方は、如何に御指導なさっているのか、
爪の垢でも煎じて飲ませていただきたい私なのだ。


本当に、疲れた日曜日。トンでもない夏休み最期の日曜日。
これからの娘と私の持久戦を、凝縮した一日。
普段、ほったらかしで仕事に出歩いたツケ。
一気にカタを付けようとしても、借金としてかさむばかり。
「子供のいい所を見てあげましょう」「認めてあげましょう」
なんて、人様には言うけれど、自分ではできない、この不一致。


親として、保護者として、仕事人として、何重にも
がっかりせざるを得ない一日。
世の親御さん達は、どのようにしているのか。
余談だが、音楽教室のお友達は「入院したのでラッキー、
宿題は出来ませんでしたって言うんだ」と、電話でお母さん。
ある意味、本気で羨ましく思ってしまった私。
なんていけない母親でしょう。
それくらい、宿題にチャレンジさせるって大変。
(自主的に何も出さない)最低限のレベルの宿題でさえも。


・・・脱力です。いやはや全くの日曜日。

人体モデルキット

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