Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

ダニエル・オスト展に寄せて

朝、思いの外、冷え込んだ。涼しいというより肌寒い。
娘に夜のうち肌掛けをかぶせておいて良かった。
タオルケットじゃないから暑いーと言っていたけれど、正解。
寝冷えせずに済んだはず。

慌ただしく、いつもの朝。連休と運動会・休日出勤の代休あけ。
何となく、登校・出勤するのがかったるい。
それでも肌寒いほどの朝の秋風の爽やかさは、久しぶり。
深呼吸・・・胸の奥まで気持ちの良い風。


昨日観た、ダニエル・オスト展の招待券をくれた御仁と雑談。
彼は必ず朝のコーヒーを飲みに、部屋に来るのでお礼を。
そして、当然のごとく美術談議に花が咲く。
で、結論から言うと、西洋人の花の扱い方は徹底している。
日本人とは根本的に違うよね、ということ。


そう、あそこまで自分の理想とする形の追求の為に
自然を変形し痛めつけるのをものともせずに、
植物を扱うことができる神経って、凄いよね、できない。
徹底した客体視、理解できても実践できない世界だね、ということ。
生け花ではなくモダンアートを演出できるということは。


噂に違わず、彼の作り出す世界は美しかった。
これが植物から作り出された世界なのだろうか、と思えるほど。
若かりし頃、池坊流の手ほどきを受けたというのもおこがましく、
恥ずかしいことに立華はできない。自由花は知っていても活けない。
飾る場所も余りないので、せいぜい庭の草花を投げ入れる程度。


娘が本格的な生け花をまだ観たこともないというのに、
こういう展覧会に連れてくるのは無謀かとも思ったけれど、
やっぱり見せてやりたいという気持ちも強かった。
しかし、自分自身が美しさを感じると同じぐらい違和感を覚えた。


その、植物の扱い方が硬質であることに。
イメージされたビジョンを明確に表現するために、
歪めたがめられ、折り曲げられ、変形され、原形をとどめぬ作品群に、
命ある花材を、本来の在り方から遠く離れた形で表現していることに。
そんな戸惑いを覚えながらたたずむ私とは対照的に、
娘は喜々として作品群を見て回っている。
「おかあさん、メモしたいから紙とペン頂戴」


まるの中に入っている、横に長く並んでいる。
四角い中に丸いもの、椅子になってへこんでいる緑。
鬼の金棒、とげとげガラスのぐるぐる巻きに直線。
同じとげとげガラスのぐるぐる巻きに丸めた葉っぱ。
木の洞穴のような入り口、ファンタジー仕立て。


娘が呟く感動の言葉は、呪文のように不思議な響き。
ガラスの器、花器のみならず、試験管型の小さな水差しを多用し、
目立たぬように、もしくは目立つように活けられた素材。
針金で裏打ちされて、幾重にも折り畳まれた大きな葉。
更にそれを何重にも重ね、絡め、思いも寄らぬ形に造形する。
曲線であるものが直線に、直角に、垂直に。


今まで見たこともない不思議な造形。初めて見る形。
作品にすっかり魅了されたのか、会場を飽きることなく巡り歩いて
何やら独りごちながら楽しそうにしている娘と、
何となく、見てはならないものを見てしまったような気分の私。
この落差は何なんだろうと感じていた。


おまけに、今日は展示会の最終日。残り1時間。
何とサイン会にダニエル・オスト本人が来ている。
娘に尋ねると、無邪気にサインが欲しいという。
大枚をはたいて写真集を1冊だけ買い、ミーハーな親子は名前を入れて貰い、
ダニエル・オスト氏の丁寧なサインと握手を。


自由花 (これならわかる池坊いけばな)

自由花 (これならわかる池坊いけばな)


「家元制度の無い所で、東洋的なニュアンスを含んで、
 ディスプレー的に演出する技術と集団を持って、
 自分が一番であるという演出ができるという奴は強いよなあ。」
学生時代に、とあるお家元のデパートでの展示のために、
ディスプレイのアルバイトをしたことがあるという御仁は呟く。


「普通家元制度の強い日本では、お家元よりも奇抜で女出す作品の展示はできない。
 だから、チョイと下の位の先生は、基本に忠実な正統派の作品を活ける。
 お家元とその周辺は、他の流派と一線を画しているということを
 際だたせるための、本来の在り方とは違った目立つ新しい作品を作る。
伝統とそれに対する新しいものという構成を、展示上必要とする。


 しかし、オストは家元制度に与していないので、
 何ら気にすることなく、自分がNO.1であることを表現できる。
 自分を強調する為にイメージし、指示を出し、職人集団で作業し、
 ディスプレイし、それをアートであると言って展示する。
 その強烈な自我のアピールのために使われる花材、
 目的の為に手段を選ばない素材への接し方は、
 日本人には真似のできないものだ。」


彼の言わんとしている事は、確かにわからないでもない。
きっと私の感じた違和感・距離感のようなものはそれに近いのだろう。
多分そうに違いない。そして生け花の知識や造詣に何ら先入観を持たない、
純粋に興味や関心を持つことが出来た娘は、
様々な花や葉の様々な在り方に接し、面白がった。
おそらくそのように純粋に関心を持つことが出来る層を
惹きつける力を持っていることが、クリエーターとしての誇りなのだ。
ダニエル・オスト自身の。


・・・本格的に仕事に入る前、久しぶりに語り合った時間。
仕事とは異なる世界の話は、私の胸を柔らかく切り裂く。
朝の涼風と同じくらい気持ちよく。
心の中を深く広く、気持ちよく。


フラワーデザイン入門  花と遊ぶ・花を学ぶ(前サブ)

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栗崎昇の花の教科書

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