Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

静かに家で

体重は少しリバウンド。仕事を減らし、外出を減らし
家の中に重点を置くと、娘とやや険悪になる悪循環。
悩みつつ、病気や怪我・入院、イベントの9月の
マイナスのジンクスを乗り越えた感。
ほんの少しほっとしている。
何も無いように何も起こらないように、
そればかりが気になって仕方なかった、9月。


昨年、入院時、「足元をすくわれたなあ」と言われたあの日。
家人の病や入院を振り切るように、仕事に家事に勉強に。
ペースダウンは病気から、という手痛い思い出
この秋こそは、何事も無く静かに色付いて欲しい。
そう、何事も無く。


実際、仕事柄、ものを考えるのには時間がいる。
短時間のひらめきだけでは、勝負ができない。
書き溜めるにも、綴るにも、インプットも必要で、
ある意味、家事や通院で分断される分、
コマ切れの時間は疲労回復に回すこともできず、
中途半端に中に浮いていた夏から秋。


かつて、大きなおなかを抱えて過ごした夏から秋。
妻から母になった夏から秋。
9月には楽しい思い出が一杯だが、
辛い思い出も続いたので、秋が苦手になっていた私。
それがこの2,3年のこと。

フォーレ:月の光(フォーレ歌曲集)

フォーレ:月の光(フォーレ歌曲集)

スクリャービン:プロメテウス、 ピアノ協奏曲

スクリャービン:プロメテウス、 ピアノ協奏曲


深呼吸のできる秋。
少しずつ引き締まる肌のように、滑らかに、
艶やかに、家の中が落ち着くといい。
もう、小さな子どもではなくなった娘。
無事に寛解を続けている家人。


私は私であり続けたい。
そして、妻でもなく母でもなく娘でもなく、
職場で振られた役割をこなす者ではなく、
世事の悩みに振り回される者ではなく、
そこから離れて、ものを考える時間を持ちたい。
役割に縛られた、役割を意識せざるを得ない、
それだけに縛られて身動きできない
狭量な人間ではなく。


私は私でありたい。
妻でも母でも娘でもなく、職場の人でもなく。
そこから離れて、ほんのひと時、別の自分でありたい。
打算や心配事、憂いや世迷言、気苦労や苛立ち、
そういうものから解放されて、にしむくさむらい。
最後の小の月を迎える11月、秋の終わりには
もう少し、軽やかに生きている自分でありたい。


過去からのジンクスに、出来事に、
思い出と呼ぶには重たすぎるものにとらわれず、
秋の深まりをひたすら深呼吸と共に感じる、
軽やかに生きている自分でありたい。
今日、静かに家で過ごす一日。


あいだみつをのカレンダーの30日の言葉
いま ここ じぶん
 その合計が じぶんの一生」

秋ゆく街で オフ・コース・ライヴ・イン・コンサート(紙ジャケット仕様)

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フォーレ:夢のあとに

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