Festina Lente2

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戦争はあったのよ

教科書の検閲で揉めている。
教育への介入は今に始まったことじゃない。
あったことを無かったことにするのは、教育。
そういう洗脳教育を目指しているのか、文科省
ゆとり教育をやめることにして、国民をお馬鹿にする枠を外して、
それと引き換えに、教科書を骨抜きにしていくつもりか。
あの手この手で国民をお馬鹿にするのが、目標か?


侵略はあった、玉砕はあった、殺人は、殺戮は、略奪は、
全てあったことなのだ。
戦時中、立派な行動を取った人がいたことと、
実際にどんな悲惨な出来事があったかということを
同時に教えるのが何故いけないのか?
物事には全て裏表、良いことも悪いこともあるというのに。


加害者が被害者に、被害者が加害者になる。
戦争はあったのだ。悲惨な歴史はあったのだ。
慰安婦は存在したし、毒ガスも大量虐殺もあった。
原爆が2発も落とされたように。
一般人を巻き込んで大量殺人を行っても、
戦争を終わらせる大義名分の前には当たり前。
そうみなされて、みんな殺されてしまったのだ。

沖縄の平和学習とオルタナティブ教育

沖縄の平和学習とオルタナティブ教育

私が生まれる前に、娘が生まれる前に。
でも、昔のことだから何も知らないと、
習わなかったから知らなかった、だけでは済まされない。
自分達の子どもや孫に、嘘をついてまで、
この国はいい国、悪い所は無いと思い込ませて
教育をするつもりなのだろうか・・・。


大阪城公園は大阪砲兵工廠だった。
そのために空襲を受け、8月14日に京橋に爆弾が落ち、
ガード下に非難していた5000人余りが犠牲になった。
現在もこの周辺で土木工事を行うとよく不発弾が発見される。
浜寺公園は公立で最も古い由緒ある白砂青松の公園だった。
でも、日露戦争の時、俘虜収容所建設、ロシア兵2万8千人収容。
戦後は進駐軍に接収されていた。
でも、誰もそんなことは教えてくれない。


欧米系のインターナショナルスクール出身者は、
国公立の大学が受験できて、アジア系の各種学校出身ではできない。
この矛盾を、文科省は平気で行おうとしていたのだ。
人権教育やマイノリティ云々と言うことを、現場に押し付けながら、
署名や抗議が起きるまで、国は平然としていたのだ。

女性はなぜ司祭になれないのか (世界人権問題叢書)

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女性の身体と人権―性的自己決定権への歩み

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宮城県人2世、大阪育ち、その後四国・関東と出向いた私。
両親は疎開ではなく、疎開してきた親族との確執を、
芋とかぼちゃばかりのご飯を、出征した叔父や祖父の話を、
撃沈された民間船に乗っていて亡くなった叔母の話を、
仙台の空襲の話をしてくれた。
軍服を縫い直してセーラー服にした女学校時代を、
ゲートルを巻いて登校した中学校時代を
懐かしげに語ってくれた。
両親は、「部落」という言葉さえ知らなかった。
むろん、大阪の歴史も知らなかった。


のんびりとした海辺の町。遠足に出かける公園の歴史も、
同級生に名前が二つあり、卒業少々には併記されていた。
夏休みに別の言葉を習いに、別の学校に行っており、
私はその学校には入れないといわれていた。
何のことかわからず、両親も知らなかった。
町の肉屋には豚足が売られていたのに、
隣の市に引っ越したら、そういう肉屋は見当たらなかった。


ある友達は親友だったけれど、結婚してから
「私日本国籍になったのよ」と言った。目が点になった。
近所で顔見知りで、珠算塾でも一緒で、
高校で同じ学校になり、四半世紀近い付き合いなのに。
このことに関しては、詳しく聞いたことは無いのだった。
また、私からも訊く事はできなかった。


ずんだ餅を食べ、ナメタガレイの煮付けを恋しがり、
赤味噌と凍み豆腐の味噌汁、でんろく豆とミルクケーキ、
ササニシキコシヒカリ、林檎とさくらんぼと洋ナシ、
とうきび、ゆべし、雪割り納豆で育った私には、
こてっちゃんやビビンバ、ナムルやチヂミ、
そういうものには縁が無かった。


食生活と教育と、マスコミと言論の自由
交錯する中で、知らなければならないことを
自分で見つけなければならない。
でも、ゼロからではしんどい。
   ゼロからではわからない。
問題のただ中にあっても、気が付かないままになる。
知らないまま通り過ぎるわけには行かないというのに。

差別とハンセン病 「柊の垣根」は今も (平凡社新書)

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和解のために 教科書、慰安婦、靖国、独島

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