Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

忘れ物三昧

娘の忘れ物が続いている。
私の帰宅が遅い時、すれ違いが多いせいもあるが、
2年生になってから特に増えてきて、一向に減らない。
連絡帳をチェックすると、連絡帳を、
宿題をすると筆箱を、プリントを、
体操服をしまうと、赤白帽を。


私は、いちいち持ち物検査を両親にされた記憶は無い。
従って、娘の持ち物を毎日検査はしない。
自分ですることだと思っている。
(入学最初は横で見てあげてはいたけれど)

            

ここ最近頭が痛いのは、矯正器具を忘れてくること。
そう、歯科の矯正器具は食事の度に取り外し。
給食時は忘れず歯磨きして装着するのに、
学童でのおやつは、保育園のように歯磨き指導が無い。
それで、外してケースに入れたまま忘れてきたと言う。
真偽のほどは定かではないが・・・。


お友達の家に遊びに行って、ケースを忘れてきて、
翌日届けてもらったこともある。
私が帰宅する頃には、娘は寝ていることも多いから、
いちいち口の中をあけてチェックしたりはしない。
で、届けられてびっくり。


もっと母親に構ってもらいたい無意識のサインなのだろうか。
忘れ物が増えてきたというのは?
しかし、よくわからない。
ただ、保育園の時にできていたことが今はできない。
脱いだ服を畳む。その日に着た洋服はネットに入れて、
洗濯機に入れる。体を拭いたタオルも洗濯機に入れる。


こんなことが、今、2年生の娘は出来なくなってきている。
親がべったり横についていないと、できないのだろうか?
それともできるようになったからと、一人でするようにしたことが?
親が楽をしすぎたというのだろうか?
ただ、自分自身も小学生時分、下に妹がいて、
こんな細々としたことを、親に面倒見て貰った記憶が無い。

忘れる技術―思い出したくない過去を乗り越える11の方法

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「忘れる脳」の構造改革 (小学館文庫)

「忘れる脳」の構造改革 (小学館文庫)

忘れるとはどういうことなのか。
確かに、若い頃に比べてもの覚えが悪くなったなと思う。
記憶していたはずのことが出てこない。
仕事上、スケジュール管理をしなければならないことが増えて、
手帳に書き込む。書き込んで安心して、忘れてしまう私。


書き込むといちいちそれを覗かなくてはならない。
それを忘れる。それどころか、手帳そのものをどこかに忘れる。
殆ど手帳を持たずに生きてきたので、滅多にない予定を心に刻んで
生きてきた習慣は、手帳を持ち歩くという芸当ができない。
職場に居ればスケジュールは目の前、何とか仕事はできる。
それで済んできたわけだが・・・。

言い訳ポケットブック

言い訳ポケットブック

娘のだらしなさは、自分の手抜きのせいだと思う。
娘に忘れ物をされる度に、娘にあれこれ手をかけていない
自分を責められる気がする。
娘の落ち度、失敗が、何もかも自分に跳ね返ってくる気がする。


習慣というものは、根気良く形成しなければならないと、
わかっているのに出来ていない自分がいる。
自ら出来なくなっている自分がいる。
かつて筆まめだった自分は存在しないし、
机の上を広く使う自分もいない。
葉書にメールで済ませ、書類はつんどく、筆立ててんこ盛り。
どんどん狭くなる机、たまる一方未整理未処理。


期日の迫ったものから泥縄仕事、見通しや余裕はどこへやら。
電話でさえも、ぎりぎりの日程で「ホウレンソウ」
心の中に友人・知人、むろん娘の姿もあるというのに、
ひと手間、ひと声、ひと目、そんなささやかな気遣いができない自分。
手抜きの前に、心を失くしている自分、苛立つ自分がある。


忘れ物をする母。病気のため、ガスの元栓も、かかってきた電話も、
自分で書いたメモも、最も大切な服薬も、忘れてしまう母。
そんな母と根本的に違う所で、何かを忘れたがっている私。
忘れて叱られる立場にある、娘。娘一人が損をしている。


夜、さあ、歯磨きをして寝ようと声をかけてもなかなか動かない娘。
まとわりついてはなれない娘。入浴後、パジャマに着替えてから、
仕上げ磨きしてと今日は言いに来ないな? と思っていたら、
矯正器具を忘れてきたの申告。寝る前ぎりぎりになってからの申告。


仕事をぎりぎりで仕上げているかーちゃんの癖に、
娘のぎりぎり申告には怒りが沸騰する。
夕食後の歯磨きは? その時に気が付くはず?
学童のおやつの後は? 学校から帰って来ても、御飯の時以外は
ちゃんと矯正器具をはめている約束のはず?
守れていないね? 忘れているね? 
かーちゃんの帰宅が遅いので、電話を入れたのに、
守れていないね? ・・・詰問調になる。


疲れて週末。夜の10時。くつろごうとしている時間に、
ぎりぎり申告に怒りが沸騰する。
本当に娘が忘れていたはずがないと思う。
もっと早くに気が付くはずだと思う。
娘は何かにつけていつもぎりぎり申告だが、それも怒りを倍増させ、
(例えば、何々が要る、何々が無くなった、など)
夜中になってから言われても、何もできないので、
怒りが沸騰する。穏やかに対処できない自分がいる。

何故娘が忘れてくるのか、忘れないように導くのが正論と知っていて、
怒りだけが先行する、こんな自分を消し去ってしまいたい。
忘れてしまいたいのは、親として至らない自分自身だ。
思わず娘に丸投げしたくなる。
娘よ、こんなかーちゃんを忘れてくれ。
自分で必要なことをしっかり覚えてくれ。
かーちゃんは、これからどんどん忘れていく世代だから、
若い君が一番しっかり覚えておいてくれ。


こんなふうに、何もかも丸投げしたくなる。
仕事でもやらなければならないこと、
家でもやらなければならないこと。
最もしなければならないはずの、子供の相手ができない。
そう、人間は嫌なこと嫌いなこと、面倒くさいことから忘れたいもの。


学校からお持ち帰りのプリントの山。
冬休み春休みプランと称した野外活動の案内には、
緑色でお気に入りマークが付けられている。
こういうことは忘れない。かーちゃんの目に留めてもらいたいから。
娘よ、せっかくのマークも矯正器具忘れ物事件で台無しだね。


かーちゃんが矯正していた頃、小学生時代、
持ち運び用のおしゃれなケースは無かった。
何か食べる時、ハンカチにそっと包んだりしたものだ。
便利なケースのお陰で持ち運びは楽だが、忘れ物回数は増えた。
1度や2度ではないとなると、にっこり笑ってかーちゃんは許せない。
便利だから忘れる。人間は楽だと忘れやすい。
そう、かーちゃんの眼鏡のように、掛けないと見えない。
だったら絶対忘れられない。眼鏡とかーちゃんは一心同体も同然。
君の矯正器具はそうではないから忘れられる。
めんどくさいから忘れたい。そして、君は・・・
かーちゃんからマイナスのストロークばかり貰うことになる。

子どもって、どこまで甘えさせればいいの?

子どもって、どこまで甘えさせればいいの?

週末、家族の時間を迎える時。
家族用の顔が、叱責やチェックから始まるのは避けたいのに、
実際の生活は、物品管理・健康チェック・掃除洗濯買い物・
お稽古事の進展具合など、心と心が触れ合うのには程遠い。
出来ているかいないかで、生活の質を評価しなければならない。
評価されるのもするのも疎ましいのに、実際はそうなのだ。


忘れてもいいよ、できなくてもいいよ、
たまにはこんなこともあるよなんて、なかなか言えない。
たまには、ではなくて、しょっちゅうなのだから。
ダダ漏れなのだから。


そしてこの状態こそが、自分自身を現しているようで苛立つ。
こんな自分を消し去ってしまいたい。
忘れ去ってしまいたい。何もかも忘れて、
責任やプライドや諸々のしがらみから解放されて、
楽になってしまいたい?