Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

子どもの本フェスティバル

夜明け前から雨が降り続き、一体どうなるかと不安になった。
しかし、私は晴れ女。しっかり雨は上がり、家族合流。
ランチは初めての自然食品バイキング。
品数はそれほどでもないが、塩の種類が多い。
味付けの自由が利く。まあまあ薄味、やや健康的。
沢山取り分けているように見えますが、ほぼ一口、二口大。
お代わりしても大丈夫。(笑)
デザートも、豆乳プリン・紅茶プリン・林檎ゼリーなど。
写真は、家人、娘、私の順。娘の皿、一番彩り良し。

 
 

二手に分かれて私は勉強会。(本日ロールプレイ)
娘と家人はOBPの「子どもの本フェスティバル」へ。
行きたかったけれど、体は一つ。残念無念。
幼児期の頃の懐かしい絵本や、理科の実験、工作。
空気砲や糸電話、クリスマスリースやペンダント作りと
しっかり楽しんできたお2人に、夕食作りは任せた。


私が少々寄り道している間に、世間では大事になっていて、
駅は大混雑。なんと、ヘリコプター線路の上に落下。
電車は不通、振り替え輸送の大混雑。
亡くなられた方には申し訳ないが、不幸中の幸いで、
電車・駅・民家の直撃は無かった。
週末の午後、ハロウィンからX'masの飾り付けに忙しい繁華街。
その間隙を縫うように、世間の能天気さを嘲笑うように
事故は突然起こる。

“突然の死”とグリーフケア

“突然の死”とグリーフケア

勉強会に行くまでの、ランチの後の30分。
デパートで寄り道。きらびやかなファッション。
普段、手にすることのできない商品。お試しで装う。
うーん、我ながら別人28号。フレグランスの新商品。
花形の香りサンプルを胸ポケットに入れて、
新色の紅をさし、いつもの場所へ向かう。


その後、贅沢なメンテナンスを経て、食料品を買い込み、
家人と娘が用意してくれたクリームシチューを頂き、
(ルーを節約してちょっと緩かったかなぁ・・・)
林檎を齧って、久しぶりに朗読タイム。
「彦一ばなし」で娘を寝かしつけるつもりだったのに、
早々に寝付いたのは家人。おやおや。


今日が「文字・活字文化の日」だなんて、朝刊を見るまで知らなかった。
ただ、「子どもの本フェスティバル」にどうしても行けないので、
あまり乗り気でない家人に娘を託したのだった。しかし結果は・・・、
あにはからんや、家人は結構満喫した様子。


よちよちはいはいの娘に読んであげた絵本、
懐かしい絵本がどっさりあって、ちょっとウルウルしたのだそう。
お世辞にも朗読が上手ではなかったけれど、
わが子を抱き、膝に乗せ、布団に寝かしつけながら、
暖かい気持ちでで本を読んだ日々。
やはり、忘れられないらしい。


飛び出す絵本、ノンタンシリーズ、ももんちゃん、
もこもこもこ、五味太郎、昔話・御伽噺・・・。
音の響きの楽しい本、絵がかわいい本、キャラクター本、
しつけの本、音や音楽、動物の泣き声が出る本、
子ども時代に手にしなかった本の数々も、子育てと同時に経験。
文字・活字文化は再体験・再認識・初体験・追体験の連続。

          

私の時代は今ほど絵本は溢れていなかったけれど、
それでも与えられた、手にすることのできた本からは
多大な影響を受けた。上手く表現はできないけれど・・・
ひかりのくにの絵本」の言葉、挿絵の素晴らしさ。
小学館の少年少女世界の名作文学50」文学への入り口。


母親の筑摩書房の文学全集は、旧字体で全く読めなかったが、
小学生の私は背表紙で作家名だけは見覚えていたので、
後年、文学史の勉強で得をした。
父親の謡の読本は、お習字と歌の本だと思っていた。
近所に図書館など無い時代、同じ本を何度も何度も読んだ。


長じて文字の無い文化、口承文学の世界を知った時、
伝える者がいなければ、文化は消え去ってしまうこと、
文字があったとしても、侵略・抹殺されて文明・文化は
いともたやすく消え去ることを知った。
インカやマヤ・アステカの文字、解読不明の文字たちは、
伝説の彼方に消え去り、歴史も物語も散逸してしまった。


文字があることによって、歴史は勝者の歴史となり、
改竄・編集されて原形を留めない事も知った。
文字・活字の残ることが、伝え受け止めることの全てではないと。
文字によって縛られ、言葉によって縛られ、
かえって大切なものが見えなくなっていることを。


気持ちの上でも、形の上でも、文字があるから昔のままではない。
そんなことを、ひしひし感じながら仕事をしている今。
形だけ真似て書き順を無視、鉛筆や筆の持ち方を無視する子ども達。
形の背景にあるものを教えられない教師、支えられない親。
力の入れ具合も、指や手の添え具合も、手首の柔らかさも、
楽で美しい姿勢も、速読できる技術も、朗読の妙も、
せっかくの文字文化の背景で、消えかかっている。


「文字・活字文化の日」なんだってね。
でも、パソコンのワープロ機能はこんなふうに変換してくる。
文字・活字文化の非難だってね。かぎ括弧を抜かすと。
沢山のものが溢れて、良書も悪書も一緒くた。
書を読むため手に取る時、その時の心持ち、気分、
その時の姿勢、体の姿勢、心の姿勢、様々な読み方。


「書く」に時があり、「読む」に時がある。
時を逃せば、一生ままならないこともあるはず。
「話す」に時があり、「聞く」に時があるように。
人は見たいものを見、聞きたい言葉を聞く。
だからこそ、だからこそ・・・。
親として、仕事を通じて伝えたいこと残したいことがある。
人として、伝えたいこと残したいことが沢山ある。


毎日が、文字・活字文化の日なのだから。