Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

「クラルテ」は照らす

娘がパンフレットを持って帰ってきた。「あらしのよるに
これどうしたの? 今日学校で見てきたの、人形劇。
で、宿題は粗筋を家でお話してくることなんだけれど、
お母さんと一緒に、映画を見たから同じ話なのに、
もう一回粗筋を話すっていうのもねえ。
ズボラな娘は、パンフレットだけ置いて寝てしまった。
(今日は音楽教室の日で、算数と国語の宿題をしたら、
 遅くなってしまったので、仕方ないか・・・)


おや、パンフに「人形劇団クラルテ」とある。懐かしい名前。
確か、私も小学校時代に見た人形劇はクラルテが演じていた。

あらしのよるに スペシャル・エディション [DVD]

あらしのよるに スペシャル・エディション [DVD]

私は「ひょっこりひょうたん島」世代。
南総里見八犬伝」の「新八犬伝」や、「三国志」、
プリンプリン物語」等はかなり長じてから見たものの、
人形劇はけっこう見て育った世代だと思う。
特に人形劇が好きだというわけではないけれど、
小さい子どもを持つ親として、NHKの教育番組はありがたい。
今も私のお気に入り、「ざわざわ森のがんこちゃん
バケルノ小学校ヒュードロ組」


人形劇の「魔法」にかかるには、ちょっ年を取りすぎた・・・
かもしれないけれど、ナマで見た人形劇といえば、
小学校の講堂で見た「クラルテ」の人形劇が唯一の経験。
しかし、何を見たのか思い出せない。
「天満の寅やん」みたいな滑稽話だったのか、
もっとシリアスな話だったのか。
その同じ「クラルテ」の作品で「あらしのよるに」。
なるほど親子でお世話になっているわけだと、少ししみじみ。
大阪が拠点の人形劇団だから、関西にはそういう親子は多いだろう。

がんこちゃんのクリスマス―テレビ版ざわざわ森のがんこちゃん〈5〉

がんこちゃんのクリスマス―テレビ版ざわざわ森のがんこちゃん〈5〉

あらしのよるに」絵本が迫力のある絵柄だったのに対し、
アニメ映画の方は、かなりのほほんとしたタッチだった。
万人受けするためには仕方の無いものだったのだろう、
「アニメ」として作品に仕上げるためには。
お陰で原作とのギャップに抵抗があったのだが。
人形劇はまた一風違った雰囲気で、娘の心に残ったことだろう。


雷鳴轟く山小屋で雨宿りをするヤギとオオカミ。
光と闇、白と黒、弱肉強食のはずの世界がメルヘンに変わる時、
「ひみつのともだち」との友情を深めていく時、
何かを得て何かを振り捨てていく時、
誰かのために何かをしたいと思う時、
心の中には何があるのだろうか。

小説 あらしのよるに

小説 あらしのよるに

友達関係・友情に敏感。でも、それを維持する事が、
どれだけ大変かまだ知らない、気付いていないかもしれない、
そんな小学校低学年の子どもたち。
ちょっとおませな娘は日々葛藤が始まっているようだが、
これからのことを思えば、まだまだ入り口。


現実の友達付き合いよりも「ひみつのともだち」に、
自分だけにしか見えない特別な友達に、
心を打ち明けたり、相談したり、夢を語ったりする時代。
何をきっかけに友情が芽生えるか、
どんなふうに心と心に絆が作られるか、
友情から恋愛に至るまで、周囲から理解されないこともある
認められないこともある関係を貫いて、
何を見出すのか。

まんげつのよるに (あらしのよるにシリーズ)

まんげつのよるに (あらしのよるにシリーズ)

ヤギとオオカミが寄り添う世界に見る満月は、
どんなふうに見えるというのだろう?
様々な見方ができる、思いを持てる作品。
切り口は沢山ある。つまらなくも面白くも受け取れる。
ただ、アニメと違って人形劇は自分から入って行かないと、
その作品世界の奥行きが見えてこない。
劇は自分から踏み込まなければ、近付いてこない。
アニメのように、一方的に近付いてくることはない。


友達に飢えていた頃。自分と同じような感性の人間に、
巡り合うことを夢見ていた頃。
秘密の友達や、誰にも言えない空想の世界に遊んでいた頃。
現実は孤独で、いじめや引越しや、その他諸々のことで
頑なになっていかざるを得なかった、あの頃。
想い出は芋づる式に出てきて、楽しいことよりも辛いこと、
哀しい事がくっついて引っ張り出されてきてしまう。


だから、思い出というものは、下手にいじくり返して、
掘り起こしたり、手を加えない方がいい。
思い出の熟成期間を経ても残るもの、
辛くても哀しくても、楽しくて幸せだった記憶より、
記憶される限り何か意味がある場合もあるのだから。


想い出は芋づる式に、自分の心の片隅をつついてくる。
それが、良いことなのか悪いことなのか。
「クラルテ」はどんなふうに「あらしのよるに」の作品を
演出したのだろう、見たかったなあ。
私が小学校時代に、唯一クラルテに関して覚えたこと。
クラルテとは光のことだ。
光は何を照らし出したのか、浮かび上がらせたのか。


日々の生活は「あらしのよるに」に、似ている。
誰と雨宿りするかわからない。何が待っているかわからない。
降っても晴れても、どんな出会いが待っているのかわからない。
光は一方向を照らすとは限らない。
光は闇を作ることを忘れてはならない。
クラルテが照らすのは、思い出の中の自分。
自分の中の心。心の中の自分の思い出だ。


入れ子になって、とめどなく、思い出は芋づる式に伸びて
秋の夜長を取り巻いている。
今宵、どんな収穫があるだろうか。
「クラルテ」の照らす彼方。

しろいやみのはてで (あらしのよるにシリーズ)

しろいやみのはてで (あらしのよるにシリーズ)