Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

I’m proud of you.

終わってほっとした。娘が呟く。早く帰ろう。
同じ教室のお友達に、挨拶もそこそこで逃げ出したい雰囲気の君。
3人の先生が集まって開く、音楽教室のクリスマスコンサート。
グループレッスンのみんなが集まり、保育園幼稚園から小学校高学年まで。
習いたての拙いかわいらしい音の響きから、コンサート用の曲まで。
男の子も女の子も、着飾った中で、緊張した面持ちの娘。


くじ運も、ママに似たのか。後ろから3番目。出番が早い方が気が楽だよね。
待っている間が結構辛い。これも修行のうちなんだけれど。
出番の前後は、教室で一番上手なお姉さん達。
他の殆どのお友達がエレクトーンの中、娘の前後だけがピアノ。
谷間に挟まれた娘。意を決して、楽譜を見ずに暗譜して弾き終えた。
よく頑張りました。3週間の練習で、ちゃんと暗譜して、
長い長い「エリーゼのために」が弾けました。


仕事をサボって早退し、何とか間に合ったかーちゃん。
自分で一人お着替えして、出向いて来た娘。弾きおおせた娘。
アメリカ映画なら使っている台詞。I’m proud of you.
面と向かっては言えないから、心の中で繰り返す、
親馬鹿なかーちゃんと言われようとも。I’m proud of you.
よく頑張ったね。

ピアノソロ 初・中級 新版 クリスマスソング大全集 定番曲が満載この一冊でクリスマスソングは完璧! (ピアノ・ソロ)

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音楽家ならだれでも知っておきたい「からだ」のこと―アレクサンダー・テクニークとボディ・マッピング

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他の子は、いつもお母さんが付き添って音楽教室
でも、私は仕事で迎えにしか行けない。どんなレッスンなのか、
先生がどんなふうに声を掛けているのか、さっぱりもわからない。
娘に「もう、やめたい」と言われた日、
他のお母さん方から言われた内容は、やっぱり衝撃。
「先生が掛ける言葉は、そばにお母さんがいない分、
言いたい放題とまでいかなくても、きつい言葉だよ」


キャリアのある怖い先生に、「お話にならない」と言われた娘は、
そんな言葉をたった一人で受け取った娘は、さぞかし辛かったろう。
練習が思うように進まない。思いっきり萎縮してしまった。
されど、私とて親と共に習い事など幼稚園時代まで。
君、小学生なんだから、一人でやってごらん。
これは、親として酷な事? 押し付けなんだろうか?


この3ヶ月、何とか11月末の発表会まで持たせていた緊張が
緩む間もなく、1月も3月も小さなコンクール、コンサートがある。
落ち着いて、グレードを上げていくために曲に取り組むレッスンではなく、
何かのコンクール行事を弾みに、そればかりを練習する教室ならば、
新しい先生を探さなくてはならない。そう思いながらも、
どうしていいかわからないまま、毎日が過ぎる。


そんな中、夏休みに聞いて「わあ、すごい」と憧れたピアノ曲
エリーゼのために」そう、誰でも知っている名曲。
私自身も小学生時代、隣の一つ年上のお姉さんが弾く
乙女の祈り」や「ベートーベンソナタ」に憧れて、
「習わぬ小僧 門前の経を読む」の世界。耳から覚える憧れの曲。


そんなふうに音楽を好きになってほしかったのに、
今の君は、何故保育園から音楽教室に通っているのか、
苦痛の種でしかなくなっているものね。
習わされている。そんな感覚だけがひしひし意識される年齢。
先生が変わっただけで、世界が変わる。小学校もそうだけれど、
年齢が幼いほど、身近にいる大人の影響力は大きい。


親は子供に関しては視野が狭い。複数のフィルターで
冷静に見て育てて貰うのが大切と頭でわかっていても、
「転校したい」と言われたり、「やめたい」と言われたら、
足元が崩れるように動揺してしまう。
「何があったの、一体?」

ピアノ・ピュア ~ クリスマス・メロディーズ

ピアノ・ピュア ~ クリスマス・メロディーズ

とりあえず、エレクトーンはおうちでは買わない方針。
まず、置くスペースがない。かーちゃんのピアノで精一杯。
お友達は発表会やコンサートでは、見栄え聞き栄えのする、
エレクトーンを選ぶ。フロッピーやUSB一つで様々な編曲、
オーケストレーションが付いて、小学生が弾いているとは思えない。
主旋律を拾うだけで、超豪華な演出がなされる。
そんな神業が楽しくて、エレクトーンにはまる人が多いのだろうか。


指は自分で動かして、メロディーに対する伴奏は
ある程度、自分で付けられるようになって欲しい。
リズムパターンを刻むのは機械任せではなく、
自分の体で覚えて弾きこなして欲しい、古い世代の人間。
多感な思春期、シンセサイザー台頭時代に
ハードロックやプログレロックの洗礼を受けたけれど、
クラシックだろうがジャズだろうが、自分の指で弾きこなせる事が前提。
単なるテクノポップは許せない世代の人間なのだ。


クリスマス・コンサートの曲、先生の指導なし。
外部発表のコンクール曲ばかり練習するとわかってからは、
娘に自信を持たせる意味もあって、背伸びとはわかっていながら、
背伸びすると手が届く曲、敢えて大人になっても弾きたいと思える曲。
メロディーを忘れる事のない曲を選んだ。
かーちゃんは知っている。小学校時代に指を動かし、
手を広げ、一オクターブ以上弾ける様にならないと、
ちゃんと鍵盤から音を出せるようにならないこと、
その後、音が思うように伸びない事を。


小学校時代に鉛筆を持てないまま、お箸を持てないまま成長し、
後から矯正して字を書いたり、箸を動かしたりする事が
どれほど大変か良く知っている。
体で覚えた事は忘れないから、小さい時に少々苦労。
古人曰く、多少しんどくても案ずるより産むが易し。
やらせてみるに限る。「駄目ね、お話にならない」で、
凹ますわけには行かない。凹ませたままでは済まされない。


「私はここまでできたよ」の記憶を持たせるためにも、
その実感と達成感のためにも、楽をして音を作る事は許されない。
かーちゃんは、古い世代の人間。
一人で楽しめる一人何役もの音が出せる楽しみを知る前に、
一人一役を全うできる技術・精神力を身に付けて貰いたい。
それからでもエレクトーンは遅くない。そう思っている。


そして、ピアノを愛している。
苦労して弾いて来た分、ピアノに執着している。
そんなかーちゃんに育てられている君。
君にも、自分で音を創るピアノを愛してもらいたい。
電子オルガンは、本当に便利。録音も再生も思うがまま。
チェンバロにもパイプオルガンにもクラリネットにも化けるけれど、
「弾く」事に関しては、元は「弾きこなす技術」前提。
たった一度しかない演奏のために練習する、その過程。
それこそが目に見えない財産だと、頑なに信じている。


ワープロが発達しても、誰でも綺麗な字で文章が書けても、
どんな文を書くかは本人次第。
(ごめんよ、かーちゃんはブログに愚痴っているけれど)
沢山お金を持っていたとしても、どんな使い方をするかは本人次第。
巷にどんなに綺麗な流行の洋服や素敵な着物があったとしても、
美しく着こなせるかどうかは本人次第。
ただ、馬子にも衣装だねと「着せられるだけ」で突っ立っている、
そんなふうになってほしくはない。


かーちゃん思い入れ、強すぎ。かーちゃん高望み。わがまま。
期待しすぎ、厳しすぎるかもしれないけれど。
楽しむことと、楽しみながら学ぶ事は別。
学ぶ事の「真似ぶ」過程には様々な側面がある。
憧れを楽しむだけではなく、身のうちに取り込む作業を惜しんで
伸びるはずがなく、延びる時期を逸する。


行事で弾みをつけて風船を膨らます楽しさより、
毎日弾いているうちに上達する楽しさがあって、
イメージした自分に近付いていく喜びがある。
目標となる姿は、身近で手が届くもの。
実力を伴うものでなければならない。
だから・・・、「お話にならない」ではなくて、
どうすれば弾けるようになるのか、指導する事が大切。
あやふやな支援や切り捨てる言葉の前に、的確な指導が。


君のピアノを聴きながら、かーちゃんは思い出と夢と望み。
過去と未来を行き来しつつ、君の事や仕事へのアイディアを考える。
何ができるのか、どうすればいいのか。
デジカメ動画の中に納めた君を二人で眺めながら、夕食。
心の中で繰り返す。今日はよく頑張りました。
I’m proud of you.