Festina Lente2

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光の森

「いつも通る道が出てるよ」
家人が夕刊を見ながら声を掛けて来た。
読売新聞の本日の夕刊に、湾岸線から見える臨海工業地帯の
景色の写真集のことが話題に。こちらの記事。
ああ、あの場所は私達が「光の森」と呼んでいる所。


私たちは普段、週末家族。社宅である家人宅へ週末出向く。
お互い仕事で忙しい。職場も離れている。老親のことも心配。
色んな事情で離れて暮らしているのが普通の家族。
でも本当はとってもあったかくて、寂しい家族。
許すことは可能でも、忘れられないことは多い。
振り返ることができないなら、進むだけ。


よい子が眠りにつく時間帯、私たちは高速道路で束の間の団欒。
ラジオの朗読を聞きながら、CDを聞きながら、
ニュータウンからニュータウンへ、夜道をひた走る。
眼下に私が幼少期を過ごした海辺が、砂浜が、松林が、
元の姿を思い出すことができないほどの姿で広がる。
臨海工業地帯の工場、夜の景色は暗闇の中に浮かぶ巨大なキリン。
明るく輝く夜の工場、光溢れる静かで孤独な世界。
人工の光の森、住人は何処にいる?

工場萌え

工場萌え

工場萌えカレンダー 2008年 ([カレンダー])

工場萌えカレンダー 2008年 ([カレンダー])



「工場の美再発見」と題した記事は、女性の署名記事だった。
私達が密かに愛していた夜景が、写真集になって評判とは。
ちょっと残念な気がしないでもない。
取って置きの自分の場所を、誰かに知られてしまったような気分。
おまけに若い人が読むように配慮したのか、副題が、
「むき出し配管・巨大タンクに萌え〜!」ときた。やれやれ。


「夜の工場。無機質な巨大建造物が光に包まれる」
「写真集、反響大きくツアーに女性殺到」とあるが、
ある意味その無機質な工場の前身で、砂にまみれて遊んだ私は、
40年も経てば、無機質に宿る美が大々的に評価され
銀河鉄道999』の機械惑星の美と並ぶかのように、
似たもてはやし方をされるのに、少々の抵抗がある。
機能美、そう言われれば抵抗が無いのだけれど。
どこぞの街中のように、照明を無駄遣いしている訳ではないから。


ただ、景色を愛でるだけではなく京葉工業地帯の石油精製所
工場見学ツアーも評判で、特に女性に好評なのだとか。
地域活性化に活かしたいと、意気込む面々も。
まあ、郷土理解や就職前の職場見学の一環にもいいかもね。
当たり前のように眺めている景色も、「類を見ない大規模なもの、
チャンスだ、利用しない手は無い」
そう言われれば、そうかもしれない。


むき出しのパイプ、夜間照明に浮かび上がるプラント。
造形美。あ、昔、ポンピドーセンターを見学した時も、
似たような感慨を抱いたっけ。この建築物が美術館?と。
美しさというものは発見しようとすれば、
見る者の哲学や感性という見方、フィルターを通して見れば、
如何なる所にも見出されて来るのものなのに、
こんな風に取り上げられて、記事にされてしまうと
興醒めしてしまう、私はひねくれ者。


新年、「こちら」で見かけたパソコンの内部も、
こちら」で見かけた自然の中の一瞬の景色も、
私にとっては新たな形を持った光の森だった。
娘よ、スキーから帰って来たら一杯話そう。
ママの電脳玉手箱を一緒に覗いてみよう。
新聞の写真も眺めてみよう。


君がどんなふうに反応するか、想像しながら過ごす夜。
かーちゃんととーちゃんは、二人でいても独り。
君と離れて過ごす夜、二人でいても独り。
かーちゃんはわずか1日離れていても、君がいないと寂しい。
君はキャンプ中、独りでいても二人でいるように、
誰かと一緒にいるように寂しくないか。
かーちゃんの心の中にある本当の光の森は、いつも君、
いつも君だ、娘よ。
昼も夜も輝いている光の森は。

橋を見に行こう―伝えたい日本の橋

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背景ビジュアル資料〈1〉工場地帯・コンビナート

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恋する水門 FLOODGATES

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