Festina Lente2

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それぞれの1年

かつて私達が「親馬鹿年賀状」と呼んでいたものを、
今年は作ってみた。
所謂、子供の写真が前面、お子様写真中心のものだ。
写真館で撮った娘の着物・ドレス姿。馬鹿馬鹿しい位、費用が掛かる。
それでも子供の旬は短いと知ってから、作ってみたいと思っていた。
何は無くとも、たった一人の娘のために。
(自己満足の世界に浸りたい私のために?)


独身時代、周囲から家族の誰も写っていなくて、
子供の顔だけの年賀状なんか、貰っても仕方がないと思っていた。
しかし、送る側の気持ちになれば、これが全てなのかな?
そんなふうに思えるようになってきた。
仕事も家庭も波風に遭い、お互い何もかも順調な筈はないけれど、
「この通り子供は元気に育っています。
 それだけで私たちは頑張れます。」
そんなメッセージなんだと受け止められるようになってきた。
でも、一言も添えられていないと、やっぱり寂しいんだけれどね。


両親とも知っていると、何て親に似ているんだろう、
血は争えない、遺伝は恐ろしい、どちらに似ているのかな?
良くも悪くも意地悪くも楽しく見てしまう。
年齢・学年入り、近況あるなし、様々な賀状がある。
遠く離れて何年も会っていない友人、同僚、親戚・知人。
お互いがお互いを教え、守り、育てた者たち、先輩・後輩。
交錯する様々な関係の中で、義理で付き合う人もないではない。
切れたくないからこちらから必ず欠かさずという人も、もちろん。


年々ずぼらになってきて年内に殆ど書き、残りは落ち着いて年明け、
そんなパターンになってきてしまって、申し訳ない。
休みが取りにくくなってきている最近、モットーにしている
一筆付け加えるという事が、なかなか大変になってきた。
老眼のお陰で、手元の字が見えにくく書き辛いのだ。
書類作成の画面は見えるのに、自分の手元の自筆の字が覚束ない。
少々情けない思いで、一人一人に違う文面を心がける。
字を書くのが遅くて自分で苛々してしまう。
そしてこの気持ちも、お互い様の年代なんだなと納得する。


そんな中、傑作かつストレートな大学時代の友人の賀状の文章。
自分の老眼・容貌・更年期を嘆き、
教育費稼ぎのパートに明け暮れる毎日を悲喜こもごもを綴る。
これが実際一番笑えてしまった。
「ご同輩、おぬしもか」という感じで。
いくら取り繕ったとて、年には勝てない。
私とて、定年まで残り干支一巡。子供が小さいだけに不利な事も多い。
ただ、子供が小さいからこそ沢山エネルギーをやり取りできる。

書と絵で贈るやさしい十二支年賀状

書と絵で贈るやさしい十二支年賀状

その傑作な友人の文章を引用しよう。
自筆の書き添えが要らない、笑えるほろ苦い近況
「お元気ですか?
 貧乏暇無しで子供の教育費のため、老後資金のため、
 老?体に鞭をうち毎日忙しく働いています。
 空元気で更年期を吹っ飛ばそうと思っていますが、
 やはり歳は正直で、体力は落ち、しみは増え、
 老眼で小さい字は見えず、悪戦苦闘しています。
 でも何とか楽しく生きています。
 (メルアド変更になりました)」


年賀状だけの付き合いになってしまっても、
それでもお互いの近況をやり取りしたい。
そんな付き合いの人が沢山いる。
皆さんのお正月はいかがでしたか?


かつての同級生は孫ができる勢い。そんな年代の私の世代。
長女を国立大学の医学部、長男をW大に入れ、
夫婦水入らずになったという便り。
または息子がT大の大学院に入ったと恒例の家族写真付き。
一人娘が進学で1人暮らしを始めてしまった。
自由と同時に、空の巣症候群を抱えてしまった友人。
子供自慢の嬉しさと離れて暮らす寂しさ。


看護師とエアロビの教師を掛け持ちの、珠算教室時代の友人。
趣味のパン作りが、パン教室に発展した中学時代の友人。
子供3人、奄美大島藍染体験の写真付きの英語教師の友人。
介護の父親を抱える大学時代の友人。
ハワイで結婚して、名前がカタカナになった大学院時代の同窓生。


同僚と本を出し、意気揚々と仕事に燃えるかつての同期。
抗がん剤を服用する奥さんを助け、家事に得手となった元同僚。
バリ島で親子3人毎年海外の夏休みを楽しむ写真の元同僚。
年は違えど、同じ時期に産室で過ごしたママ友達。
「じーじ」と呼ばれる事に生きがいを感じている先輩。
車椅子で源氏物語の講師を務めている、かつての上司。
何を当てにしているのか、ダイレクトメールの年賀状。


写真・楽しいメッセージの付いた様々な年賀状を、毎年受け取る。
普段会えない分、相手を気遣い労わり、励まし。
小さな紙片の中に相手への思いが込められている、年賀状。
代替わりを見越して、挨拶も兼ねて送る親戚への便り。
この歳になればこそ、それなりに責務を全うしているという知らせ。
やり取りの内容は、うんざりする雑務ではない。
無事である事、色々あれど息災である事、
賀状を出せる状態であると表明することだ。


メールもいいけれど、やはりここは年賀状。
宛名書きは、さすがにプリンターにお任せしているけれど、
本文には一言、心を込めて添えたい。
ちなみに、宛名の書体は「筆まめ」が一番好き。
いかにも毛筆で書いたという印象が持てるから。
色んなソフトを試してみたけれど、今年も筆まめ派。


表書きの字体さえも、どこのソフトか吟味しながら
200枚余りの年賀状をためつすがめつ眺めてみれば、
俯瞰できる年月の重なりに唖然とする。
そう、写真年賀状はぐっと減り、喪中の葉書は増えた。
自分の年を振り返ると、そういう知らせが多くなる年代だと
頭でわかっていても、どうしても小さく溜息。
改めて筆を執ってみて、愕然とする。


付き合いは、賀状と共に整理していくものだと知っている。
今年で年賀状を最後にしたいと、定年を迎える先輩から言われた事も。
みな、その時期その年、仕事や付き合いに応じて、
賀状の顔ぶれは変わっていくのだろう。
けれど、お互いの幸いを祈りたい気持ちに変わりはない。
メールもいいけれど、手元に置いておける年賀状。
まだしばらくは、こういう「やり取り」にこだわっていたい。


全て手書きでなくても、温かい気持ちが伝わるような、
来年も楽しみだと思ってもらえるような、
そんな年賀状を作れる事に感謝して、
毎日を過ごして行きたい。
年初め、冬休みはもう終わり。明日からは、出勤。

ベスト・オブ・正月

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正月の来た道―日本と中国の新春行事

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